主の十字架は、私たちに喜びと同時に悲しみをもたらせます。なぜなら、十字架は私たちに主の豊かな恵みを悟らせ、喜ばせますが、自分の罪と咎の深さをも気づかせ、悲しませるからです。主の十字架による喜びと悲しみとを覚える一日でありますように祈ります。主よ。私たちを喜ばせてください。しかし、決して私たちが私たちの涙を忘れないようにしてください。
ービル・ウィルソンー
所感)イエス様を信じる、ということはただ宗教をする、という意味ではない。イエス様を救い主として信じ受け入れる、神様から離れていた罪を悔い改める時、イエス様があなたの罪を赦し、あなたの内に住まわれる。イエス様は聖いので、罪とは同居できない。でも、イエス様を信じる時、イエス様があなたの内に住まわれ働かれる、新しく日々造り替えてくださる、新しい命を歩む、与えられる。十字架は、古い自分を棄てるという意味では悲しみともなるかもしれない。でも、そこから新しい喜びを与えてくださる。本当のいのち、御心があなたの内にあらわされ、形作られていく…
このイエス様の前に、コロナだろうが、あなたの問題だろうが、あなたを倒れさせない。一緒に導き支え、脱出させてくださる。今日辛くても、その中にあっても今日神様があなたの内に喜びを形作ってくださることに大いに期待しよう。