地下鉄サリン事件から25年 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

地下鉄サリン事件から25年が今日で経過しました。

コロナ問題で忘れられ、軽視されていますが、25年前、東京の地下鉄でサリンがまかれ、何千人もの人が被害にあう…言っておきますがコロナの比ではないですよ?とんでもないサリン中毒で25年たった今でも重度の障害を負っている人もいる…

 

当時のオウム真理教は今、アレフとか名前を変えて未だに活動している。

当時の人たちは高学歴、でもどこかに人生の空しさ、また救済を求めていた。今も増え続けているのはその辺の減少が今も変わらないからではないか、と私は思う。やった行為は決して許されるべきものではない。でも、この本質が変わらなければ別な形で、誰か別な人かもしれないけど、起こるでしょう。小さなテロ、今でも起こってるじゃないですか。いじめ、殺人、虐待…本質は何も私は変わらないと思う。

 

だからこそ、福音を私たちは語り続けなければならない。どんなにむなしく聞こえても。

本当の救い、愛を、いのちを。

十字架には力がある。十字架で和解された神様との関係にこそ・・・神の御子イエス様のいのちのがこの十字架に架けられたのだから。

 

被害者、今も病と闘っている方、また被害者のご家族・ご遺族の皆様の上に、神様の慰めがありますようお祈りしています。

 

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。』知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。」

(Ⅰコリント人への手紙1章18-21節)