時間は癒す事が出来るのか? | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

時間が私たちを癒すのではない、神様が私たちを癒されるのだ。

 

所感)確かに時間が立てば痛い事は忘れる、けど後でフラッシュバックすることさえある。何とかしようとかえって自分にプレッシャーをかけて苦しい。

 

でも、これを癒す事が出来るのは神様なのです。神様はその戦いの最中も一緒にあなたのくびきを折って戦ってくださり、一緒に癒しに向かって進んでくださる。試練からの脱出は努力でするのではなく、神様が一緒に進んでくださり、その痛みの先に見せたいものへと案内してくださる。癒し、いのちへと。

 

神様はあなたにプレッシャーをかけない。ゆっくり、一緒に行こう、と声をかけられる。もちろん、瞬時に癒す事もできます。でも、神様があなたに何かを一緒に体験させてくださる。神様に委ねてみよう。神様こそ最高のカウンセラー。

 

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」イザヤ書9章6-7節