立ち上がらせてくださる(昨年9月6日未明の北海道大震災で被災をして31) | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

↓は昨年9月6日に北海道胆振東部地震を被災して3か月たったころに書いたものです。今年も多くの災害があったし、10月の台風による被害は各地甚大だった。そんな被災し今も苦労している人、また普段の生活に疲れ果てた方々の励みにもなれば、と再度分かち合います。今も被災で苦しんでいる方、様々な患難の中にある方々の上に神様の慰めと励ましがありますようお祈りいたします。

 

「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。」

ヤコブの手紙513-15

 

今から3か月前、北海道厚真町を中心に震度7の大震災があった。復旧も多少進んでいますが、ここから冬場に向かって行き、これまでの3ヶ月とはまた違う日々を迎えて行く。当時ブラックアウトで情報寸断、通信が使えない、と様々な問題に私も震災にあい、体験し考えさせられました。それにしても驚いたのが、この3か月後にまたしても通信障害で大混乱に。

 

こうした情報寸断を思うと、改めて思わされるのは、私たちと神様の通信は、その関係は何者も打ち砕くことはできない、という事。私たちがいらない、と拒否しない限りは。これ、本当に心強い話ですね。

 

↑の手紙というのは、イエス様の弟(イエス様は聖霊様によってマリヤの胎内に宿ったのですが、この弟というのはそのマリヤと父ヨセフの間に生まれた、という意味で同じ家族ですから)が書いたものです。彼はイエス様の最も身近な家族の中で過ごしていたのに、イエス様を救い主としては最初は信じていなかった。最も身近なのに。

 

しかし、彼は神様を神様ともせず歩んできた、神様の遣わされた御子をさえ否定していた、拒否してしまったそんな自分の罪をも赦すため、十字架に架かられた、その姿を見た時、彼はイエス様を救い主として受け入れるのでした。そんな彼と神様のネットワークは途切れていなかった。神様は途切らせなかった。それはイエス様を受け入れる前も後も変わらない。むしろ受け入れた後は迫害期に入りより苦労が重なって行く。それでもなお、自分たちの叫びを神様が聴いてくださっているから、ネットワークが切れてない。だからこそ、祈ろう、と訴えるのです。立ち上がらせてくださる方がいるから、だから祈ろう、と。

 

どうしても↑の手紙の中身を見ると、癒しに注目が集まる。凄いって思う。でも、もっと注目しなければいけないのは、癒すのは、長老さんでも祈った人でもない、神様が癒してくださるんです。私たちのことを心配してくださっている神様がいる、ということなんです。神様は、私たちが苦しんでいるのに無視される方ではない、病の中にあるのに無視される方ではない。神様は私たちのすべての必要を知っておられる。だから神様に求めて良いんだよ、そう訴えるわけです。

 

でも神様はただ関心を持っているだけではない、もう一つ約束してくださっています。それは「立ち上がらせて」くださるのです。あなたを立ち上がらせてくださる人がいるのです。神様は何もしない神様ではない。あなたがどこか神社とかに行かなければ何もしない偽神でもない。真の生きた神様は、あなたのために行動を起こされる、愛するというその言葉を実行によって現される方です。何もない、どこに助けが?いつになったら立ち上がれるんだ?でもそのあなたを立ち上がらせてくださる方がいるのです。

 

どこか遠くではない、あなたの最も身近な場所にまで降りてきてくださった方。神であられるのに人となってまで来られた方。事もあろうに、私たちを死の裁きから救い出すべく、身代わりに十字架に上られ、身代わりになって死なれ、陰府に降ってまであなたを取り戻された。死刑囚の横に、また死の中にまで下って行ってまであなたを引き上げられたのです。あなたを神様の御前に立たせてくださり、神様の子として受け入れ、最大の喜びにあふれさせてくださるために。あなたを回復させるために。神様と私たちの途切れてしまったネットワークを御子イエス様の十字架によって繋ぎ回復させてくださったのです。

 

どうか忘れないでほしい。あなたの事を覚えている神様がいるという事。あなたのために御子イエス様さえ惜しまず身代りに十字架に架けて死なせる程にまで愛される方があなたを覚えているという事。あなたが求めるのを、あなたが帰るのを待っておられる事を。何より、あなたを本当の喜びに招き、回復させ、立ち上がらせて下さる方があなたを待っておられるということを。イエス様の十字架にあって、私たちが罪を言い表す、悔い改めるなら、あなたは最大の悲しみ、苦しみである裁き・死から解放され、まことのいのちを得る。本来あるべきあなたの姿、神様の子として・御子イエス様があなたの内に住まわれ共に歩まれるという最高のあなたに回復されていく。あなたを立ち上がらせるのは自分の頑張りではない、主イエス様があなたと共に歩みながら立ち上がらせ続けて下さる。この恵みを覚え、今日も歩もう。