ーまさかという人をも神様は目を留めておられたー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところに入ったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。女たちはナオミに言った。『イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。』ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。近所の女たちは、『ナオミに男の子が生まれた』と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。ペレツの家系は次のとおりである。ペレツの子はヘツロン、ヘツロンの子はラム、ラムの子はアミナダブ、アミナダブの子はナフション、ナフションの子はサルモン、サルモンの子はボアズ、ボアズの子はオベデ、オベデの子はエッサイ、エッサイの子はダビデである。」

ルツ記413-22

 

神様の願いは一人でも多くの人が救われる事。神様から離れて行き滅んでいく事を悲しまれる。だから、神様は御子イエス様を私たちの内に遣わされた。生まれさせてくださった。

 

さて、↑の文書は読む人から見たらちょっと退屈に感じるかもしれない。というのも、ルツ記という話の結論部分であり、また系図(分かりやすく言うなら家系図)ですし。ただ、実はこの部分に神様の愛がふんだんに込められているのです。

 

この系図の先、ダビデの先にはイエス様がいる。そのイエス様の家系図の中に、ボアズという人とルツという人の名前が残るのは本来はあり得ないこと。しかし神様はこれを神様の民の中に、イエス様の家系図の中に入れる事を赦された。それが本当にすごい話なんです。

 

この↑に出てくる夫婦、ボアズという人とルツさんという人は、実はどちらも神様からとても祝福に与るような人ではありませんでした。ボアズは、実は遊女と呼ばれる人の子孫。イスラエルの民がエジプトの奴隷から、神様の恵みによって解放され、救い出され、ようやく先祖たちに約束された地に着いた時、そこにいたのが遊女ラハブ。姦淫を嫌われる神様にとって遊女を神様の民に加えるということはありえない事。しかし、彼女は神様が彼女の暗闇から救い出されに来たことを知った時、喜んで彼らをいのちの危険を顧みず受け入れ助けた。そして、その偵察隊の一人、↑に出てくるサルモンと結婚、イスラエルの民に加えられた。

 

そしてその喜びは自分の内にとどまらず、子孫にも神様がこんな私をも愛しているんだ、そのことを忘れないでほしい、と信仰継承をした。それが↑のルツさんと結婚したボアズ。

 

一方、そのルツさんは、モアブという国の人でした。モアブという国はイスラエルの兄弟国でありながらイスラエルを苦しめ続け、神様から、10代経っても絶対に彼らを受け入れてはならない、と絶縁宣言をされた民なのです。子どもを火にくべ人身供養をしたり、もう本当に恐ろしい民。そんな中で彼女は生きていた。

 

しかし、ある時飢饉を逃れ、モアブに避難してきた夫婦がいた。ナオミという人がいた。彼女は夫が亡くなっても、子どもがなくなっても絶望する事はなく、それでも神様に寄りすがっていた。ルツはそのナオミの子どもと結婚するのですが、子どもが産まれる前に夫(ナオミの子ども)失ってしまう。もうナオミと縁を切ってもよかった。でも、彼女が信じる神様、こんな自分のところに神様が恵みを届けてくださった、その喜びからナオミについてイスラエルに帰るのでした。

 

そこで、ナオミとボアズは出会う。本来モアブの民など神様の絶縁宣言によって受け入れられるはずがない。しかし彼女をボアズは受け入れ、ついに結婚に至るのでした。モアブの民と結婚する?ありえない、とは考えなかった。神を求める彼女の前に、モアブという名はかすみ、ボアズは受け入れるのでした。まあ、その辺はぜひ今度ゆっくり聖書のルツ記、というところを読んでくだされば、その美しい出来事に涙なしには読めないそんな体験をするでしょう。

 

そしてその子孫たちにイスラエルの2代目の王ダビデ、そしてその子孫を通して神様はイエス様をお生まれさせてくださった。聖霊様によって身ごもりましたが、ダビデの子孫を通して。とんでもない恵みに彼らは預かった。救い主の系図に、なんと、遊女、そしてモアブの民という神様から絶縁宣言された女性をも組み込まれた。彼らが神様の民に加わる事を赦された。信じられるだろうか?しかしこれが神様の愛なのです。

 

クリスマスとは違えども、ボアズのお母さんは遊女、その遊女の元に神様はその恵みを届けてくださった。それはクリスマスに示された神様の愛と似て、神様は彼らと出会ってくださった。神様から絶縁宣言された民に対しても、ナオミという神様の使いを送られ、神様は彼女と出会ってくださった。神様の家族に加えてくださった。何と素晴らしい話だろう。でも、ボアズがモアブの民と結婚することを恥じなかったように、神様が私たちが神様の家族に加わることを恥じなかった。むしろあなたがたを受け入れたい、とその手を伸ばされたのがクリスマス。

 

私たちは神様にどれだけ逆らい、恥をかかせて歩き続けて来ただろうか。良いように利用し、裏切り。それこそ弟子たちのように。私たちは彼らを馬鹿に出来ない。でも、まず神様は彼らを、私たちを受け入れることを決断され、こんなわたしたちのところに、神の御子たるイエス様を遣わしてくださった、しかも人として生まれさせてくださったのです。あなたにも神様の愛の御手は伸ばされていたのです。

 

しかし、ボアズやルツが神様を受け入れたように、この神様の御手を、クリスマスの愛を振り払っては、あなたの神様との物語は始まらない。神様は、裏切者の私たちを恥とせず、むしろ私たちを罪赦し受け入れるため、私たちが支払うべき代価、死を、御子イエス様に背負わせ、十字架に架け、身代わりに死なせた、罰せられたのです。クリスマスの本当の目的はここにある。

 

あなたを神様の家族として迎え入れるため、サルモンを通してラハブという遊女が神様の民に加えられたように、ナオミとボアズによってルツが神様の民に加えられたように、私たちは御子イエス様にあって神様の民・子として加えられる、そのためにあなたの罪を赦し十字架に架かるべく、来られた。色んな問題解決や癒しだけではない、あなたと神様の断絶された関係をいやす、和解させるために来られたのです。

 

私たちが御子イエス様の十字架の前に罪を認め悔い改め、イエス様を救い主として受け入れるなら、神様の前にあなたの罪状書きは、それこそボアズの前にルツの「モアブの女」という呼称がかすみ、関係なくなったように、あなたも神様の子とされる。あなたを受け入れる事を神様は決して恥じない。イエス様の血潮の前にあなたの罪は帳消しにされるのです。あなたが受け入れるなら。そしてここから、彼らと同じように、神様とあなたの物語が始まるのです。涙なしには語れない物語が、神様の恵みの前に涙、感謝せずにはいられない新しいいのちがここから始まるのです。クリスマスから始まった神様の愛があなたの内に結ばれる。

 

神様はあなたと出会うため、御子イエス様をあのクリスマスの時に送られた。これは人によって結ばれる関係ではない、御子イエス様によって結ばれた関係です。今日、私たちはこの愛を受け取ろう。あなたを神様の家族にいれるため、罪を赦し神様の子とするため、神様とあなたの物語を始めるため、御子イエス様を十字架に架けられたこの愛を。