ー本物のカリスマがやって来られたー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである』と私が言ったのは、この方のことです。」

ヨハネによる福音書114-15

 

神の御子たるイエス様が来られたのは一時の祭りのために来られたのではない。道楽で来られたのでもない。あなたに恵みを、いのちを与えるために来られあなたの内に住まわれる。人となって来られ。

 

さて、↑の箇所は今から約2000年ほど前に人となって来られた神の御子たるイエス様について、その側近として約3年間仕え続けた12弟子の一人、ヨハネという人が書き残したイエス様の証言。福音書の一部です。

 

彼はイエス様が十字架の愛も、行動も全部間近で見ていました。十字架でかかられ死なれたところも。復活したイエス様にもお会いし、天に昇られていくのも見ました。その後、使徒として、キリストの愛を伝えて行くも、大迫害にあい、何度も殺されそうになった。煮えたぎる鍋の中に入れられそうになって死にそうになった事もあった。幽閉されたこともあった。それでも、キリストは真実であった、と書き残していくのでした。その一部が↑なのです。

 

と、説明っぽくなりましたが、ヨハネはこの直前の箇所までで、彼が見てきた体験した中で確かに、イエス様のうちにはいのちがあり、どんな暗闇もこれに打ち勝つことはできないこと、またこのお方は実はこの世界が出来るはるか前から存在しており、またこの世界を造られたかたであり、もしこのお方を受け入れるならなんと、神様の子どもと言う素晴らしい特権が与えられる、と語ってきました。神様の子とされる、すごいですね。

 

そんなお方が、人のからだをとってわたしたちのところに住まわれた、とヨハネは続けます。これ、すごい話ですよね。神様が、神の御子たるイエス様があなたの内に住まわれるんですよ?彼は、復活した後、どこかに行っちゃった、見捨てられたとは書かない、彼のうちに、人となって来られてから、死んで復活され、天に昇られた後に至るまで、彼の内に住まわれ続けたというのです。

 

どうしても、宗教のイメージからか、神様は遠い存在というイメージが出てしまいますが、イエス様は何となく気が向いたから来たのでは実はありません。それではたまたま来ただけなのでは?と思われるかもしれませんが、イエス様がこの地上にお生まれになったのは今からおよそ2000年前ですが、それよりもはるか4000年ほど前に、最初の人、アダムとエヴァが罪を犯した直後から実は約束されていました。

 

「わたしは、お前と女との間に、また、お前の子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、お前の頭を踏み砕き、お前は、彼のかかとにかみつく」と。そうです。人が最初に罪を犯し、神様から断絶されてしまった私たちのために、関係を回復するために、また神の子とするためにイエス様を送る、という預言がなされました。時にはアブラハムやヤコブなどに現れたりもしました。そのお方が、ずっと約束され続けてきたお方が、とうとうこの地上に人間のからだを持って来られたのです。

 

また、ただ1日だけ観光に来た、とかそういうレベルのことをしたわけではありませんでした。このことば、イエス様は人のからだを持ち、生まれ、私たちの間に住まわれました。テントを張るように。そして神様のご栄光を現わされるというのです。

 

栄光、というのは分かりづらい言葉ですが、神様の尊厳、超越性、完全性であるのと同時に、愛・恵・力・義・聖という神様のご性質をいいます。つまり、イエス様はなんとただ天幕を張って共に住まわれただけではなく、私たちの内に完全に働かれ、愛・恵み・力・義・聖を現わしてくださいます。あなたをどんな時にも愛し愛を注ぎ、恵みを注ぎ、どんな困難な時でも力ある御手であなたを守られ、あなたのどんな罪をも聖めてくださります。

 

さらにこのお方について説明されています。そのお方は恵みと真理とに満ちている、と。この恵みはカリトスというのが、実はカリスマの語源となっているそうですが、それは本来受けるに値しない者に神様が一方的に注がれる愛と憐れみです。それを「私たち」にそそがれるというのです。それをヨハネは体験した。イエス様が注がれる恵みの前に、古い私は何の価値もない、と。

 

神の御子イエス様が来られたのは一時の祭りのために来られたのではない。道楽で来られたのでもない。あなたに恵みを、いのちを与えるために来られた。あなたが罪の奴隷から神の子となり、神様の素晴らしい恵み、栄光を体験する者となるためなら、と喜んで神であられるのに人となって来られ、あなたのために身代わりに罪の代価を十字架上で支払い死なれるために来られた。あなたを赦すために。あなたの身代わりとなるために。

 

これが神様の愛。道楽のために来られたなら命など捨てない、私たちのような罪人のために。しかし、神様の愛は本気だ。命をも投げ出してまであなたを取り戻し、あなたの内に住まわれ最高のあなたにしたい、と御子イエス様を送られた。あなたはこの神様の本気の愛の前にどう応答するだろうか?私たちはこのクリスマスシーズンを過ごす中で、もう一度この神様の本気の愛を覚え、応答する者となろう。主はあなたの内に最高の愛を現すために来られたのだから。