ー癒すのは神様ー(9月6日未明の北海道大震災で被災をして26) | とある働き人の聖書のお話

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東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

96日未明の北海道大震災で被災をして26

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」 詩篇1031-5

 

私たちの心を、魂を癒すことができるのは神様だけ。もちろん自分で頑張って立ち直ろうとするのはまあ否定はしませんが、「神様」が癒してくださる。癒してくださる方がいる。これ、本当に感謝な話ですね。↑の箇所に出会って私は勝手に感激してしまったのですが。

 

9月6日未明に起きた北海道の大震災。自身によって家族を失われた人、家を失った人、仕事を失った人。また、何とも言いようがない不安に襲われて今も心がどこか不安にある人。その上ただの地震だけではなく突然ブラックアウトに全道に及び襲われたものだからいつ復旧するのかも状況を掴むこともできない。普段必要なライフラインが途切れて死活問題の人もいた。そのことで本当に疲弊しきっていた。今でも、被災地を中心に心に平安が戻らない人たちを多く知っている…それはそうです。まだたった1ヶ月さえたたずに災害続き、心休まる時が来たと思ったら、の繰り返しですから。

 

今年は日本で本当に災害が多かったですが、災害に限らず、こうした疲弊って私たちの人生にどれほどあるんでしょうね。何より、不安定な価値観の中で、罪という中にあって、本当に疲れる。

 

と、そんなことを思っている時にこの箇所と出会ったんです。もちろんこれまでも何度も読んできた箇所ではあるのですが、祈っている中でこの御言葉が神様から投げかけられてきたんですよね。「神様は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる」って。

 

希望的観測、いつか癒されるよ、それまで我慢してね、とは神様はおっしゃらない。「主・神様は」というのです。癒す、と。救い出す、と。神様ご自身の恵みと憐れみの冠をかぶらせてくださる、と。しかも、ある一時ではない、私たちの一生を、神様の良い物で満たされる、というのです。そして、新しくされる、これまでの古い痛みの中から引っ張り出されて新しくされる、と。

 

もちろんこの詩はダビデの祈り・詩ではありますが確かに彼の人生苦難困難、順境逆境、様々あってもその約束は確かだった。王だから、ではない。神様にとって「あなた」は王だろうが誰だろうが関係ない、神様の御手で作られた一人一人があなたなのです。

 

私たちはある意味で自分で神様を遠い存在にしてしまっている。自分で頑張るわ、とか。どうせ神様なんていないんでしょ?とか。神様に何ができるの?とか。

 

でも神様は、私たち、あなたのために御子イエス様の命を惜しまずささげることができる方です。神様はこの災害以上に大きな苦難の中にある人たちのところにいつの時代にあってもその御手を伸ばされ続けていましたが、ただ遠くにいるだけではなく、御子イエス様を人として生まれて来させてくださった(もちろんその前から、天地創造のはるか前から存在はしていたのですが)。そして具体的に彼らの必要を、心を、問題を、死を、罪を、ありとあらゆる問題を癒していってくださった。

 

でも、それだけでは終わらずに、私たちにとっての最大の絶望である、罪から来る報酬である死、神様との断絶状態を復興、回復させるため、癒すため、私たちが死ぬ代わりに御子イエス様を十字架に身代りにかけて死なせるという行動に出たのです。そして3日目に死人の内よりよみがえらせ、この死という最大の病、裁きを打ち砕かれ、私たちと神様の関係を癒されたのです。御子イエス様の十字架の血、いのちから流された血によって。

 

そうして神様はイエス様のいのちという代価をもって私たちを贖った、買い戻してくださりご自身のもの・子として迎え、私たちの内に復活のイエス様を住まわせ、世の終わりまで私たちと共におられ、イエス様のいのちによって回復された、和解されたこの関係において神様は最大の良い物で私たちを満たされる。私たちを新しくし、また神様の恵みと憐れみが溢れんばかりに満ち溢れさせてくださる。誰が?神様がですよ。御子イエス様ゆえに。あなたのうちに「神様が」いのちをもたらされる。

 

だからこそ私たちは、↑のように告白しようではありませんか。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」と。あなたの魂の内側にまで「神様が」愛を注がれる。御子イエス様が何の罪もないにもかかわらず罪だらけの私たちの身代わり十字架に架かられ死なれるほどに愛されたあの十字架を忘れず歩もう。この十字架によって、御子イエス様によって私たちは神様と和解させていただいたのです。私たちは心も魂も、思い煩いも全部持って行っていいんです、神様に。そこから、新しく「神様が」あなたを造り変えて行ってくださる。あなたの生涯全体を。罪の奴隷から神様の子として。

 

主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。