(9月6日未明の北海道大震災で被災をして25)
「セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた。」
創世記4章26節
9月6日未明に起きた北海道大震災。この傷跡が残る中、今日の台風に、昨日今日と続く胆振(いぶり)を中心とした震度4クラスの余震。まあ震度自体はそんなに高くなくても、先の地震のダメージの上に慣れない震度、またか、という思いで本当に心が揺さぶられる。私はまだいいけど、家を失った人や最初の大震災で大きなダメージを負った人たちにとっては本当に辛い。
ただ、そんなことを思っている時に、神様が私たちを見ておられるということを本当に思い起こされます。それこそ昨日書きましたが「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている」ということばが本当に心に突き刺さりました。
ある人はこんな状況にあって神などいないじゃないか!と叫ぶ人もいるでしょう。こんな時に神に祈ったって何になるんだ?と。震災に関らず、私たちの歩みの中に困難な事があれば本当にそう。神様を否定したくなったり、神様を後まわしにして、目の前のことに負われていく。でも、神様の私たちへの愛は尽きない。神様はそこいらにある生きてもいない像・偶像とはわけが違う。感情を持ち、生きている神様。その神様が心配してくださっている。私たちの心の内を知っておられる。だから、私たちは祈っていいのです。
まあそんな時に↑の箇所が示されたのですが、この当時はもう本当に混沌としていた時代でした。初めの人アダムとエヴァの二人の子は、人類初の殺人事件を起こし(兄が弟を嫉妬、自分の思う通にならない神様から離れる)、兄は当時住んでいたところからさらに追放(神様は追放とは一言も言っていないのですが)、そこで彼は町を建てて行くのですが、せっかく神様から憐み(復讐される事がないように印をもらった)をいただいたにもかかわらず、その神様の愛を忘れ離れて行った。だからその子たちはなお神様に逆らって行った。神様は何度も悔い改めの機会を与えて下さっていたのに。そして、彼らの子孫の内には復讐心、嫉妬、憎悪、不倫…富の陰にはもうあらゆる悲しみ、闇がはびこっていたのでした。
一方で、兄たちがいなくなり、3番目の男の子を授かったアダムとエヴァ。彼らは神様に恨むのではなく、むしろこんな時だからこそ神様に帰ろう、神様に頼り生きよう、と決断し、兄たちのような偽の神々ではなく、「主の御名」によって祈ることを始めたのでした。
そんなぐちゃぐちゃな、混沌とした時代の中にあって、彼らは神様が彼らの内に御心をなす事、新約時代的に言えば御国を建て上げて下さることを願ったのです。神様から離れてしまった自分たち(まだこの時、最初に罪を犯したアダムもエヴァも生きている)など神様に祈る資格などない、と思ったかもしれない。しかしそれでも、彼らは知っていた。この混沌とした時代の中にあっても、神様は彼らを見捨てず、その御手を伸ばし続けてくださっていたことを。もし祈りを聴かれないのなら、それを続ける事はしなかったでしょう。しかし神様は確かに彼らの祈りを聴いてくださっていたのです。
結果、神様から離れた兄の一族は状況的にも混とん、最後はノアの洪水により滅び、神様の御心がなる事を願い生きて行ったセツの子孫は神に従う喜びを味わい、子孫へ子孫へと伝え、その子孫ノアの一族は生きることとなって行く。
私たちは誰により頼み生きるだろう?こんな時に神様に祈って何になる?違う。こんなとき、というよりもどんなときであっても神様により頼み生きるのです。だって神様は私たちをとことんまであいしておられるのだから。昨日の、「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている」ということばに現されている通り。神様のお心、湧き上がるほどのお心をあなたの内に現したいと神様は思っていてくださる。これ以上の感謝な事はないのではないか。
私たちは先にも申しましたように、神様に祈るなんてとてもおこがましい存在。だって勝手に神様を捨てるんだから。そんな私たちの祈りなどどうして神様は聞かれるだろう?でも、神様は私たちのこの断絶された関係を回復させるべく、神の御子たるイエス様に私たちの罪の責任、罰をその身に負わせ、十字架に架けて死なせた。そしてよみがえらせることによって、イエス様を救い主として信じる私たちと和解してくださり、そのイエス様の御名のゆえに、私たちと神様は繋がれるのです。そしてそのイエス様の血によって繋がれた関係の中において、イエス様の御名によって祈ることは何でも神様は応えて下さるのです。
神の御子イエス様という命の代価を支払ってでも結ばれた関係、私たちはこれを侮ってはいけない。神様は御子イエス様のいのちと共にすべての良きものをあなたに備えて下さる。御心を、その熱い思いを現してくださるのです。そこまでしてくださる方があなたを今日も心配し、また御目を注がれ、祈りを聴いてくださっている、あなたの叫びを聞いてくださっている。
私たちはイエス様の御名によって祈ろう。イエス様の御名、十字架によって和解されたこの新しいいのちの内を歩もう。イエス様を救い主として受け入れる時、あなたの内に神様の御心が現されていく。あなたの混沌も、死も、闇も、すべてその光で打ち砕かれる。その十字架の血潮によって。今日も主はあなたが祈るのを待っておられる。あなたが神様と共に歩みます、と決断するのを待っておられる。あなたに全ての良い物を用意して。天にある全ての祝福を用意して。ここから新しいあなたが始まる。