(9月6日未明の北海道大震災で被災をして15)
「夕方になった。日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた人をみな、イエスのもとに連れて来た。こうして町中の者が戸口に集まって来た。イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をいやし、また多くの悪霊を追い出された。そして悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。」
マルコによる福音書1章32-34節
私たちはイエス様のことをすごく難しく考える。こんな事をイエス様のところに持って行く事は不信仰だ、とか、もっと自分で努力してから、とか、どうせ聞いてくれるはずがない、とか。何か宗教的に考えてしまうけど、そうではない。イエス様は全ての人を招かれている。
9月6日未明、北海道で大震災が起こりました。その規模は測り知れず。でも震源地から離れたところでも、日本初のブラックアウトが起こり、全道規模(90%以上)で長時間にわたる停電が起こり、病院に行けない人も出た。透析を受けられない人も出た。言葉に出せずに、苦しんでいる人も。私の周りにも、これまで体調がよかった人が突然崩れた、という人もいる。また、先が見こせない経済的復旧も。いや、家族を失った方などはもうこの思いをどこにやったらいいのか。
なんかこう、そうしたやるせない思いを、私も被災をして、このブラックアウトを経験してふと感じた時に、↑のみことばを神様が示してくださった。イエス様のところにはあらゆる人が来た、あらゆる人をイエス様は受け入れてくださった。そしてその一つ一つの問題に対してイエス様は癒された。
私の中でこれまでここの箇所はそれほど気に留めていなかったのですが(マルコによる福音書自体がとんとん拍子で進んでいくという面もありますし)、イエス様にとって問題に大きいも小さいもない。私たちがこんな問題をイエス様のところに持って行くなんて申し訳ないと思っても、イエス様はちゃんと向き合ってくださった。悪霊につかれている人なんて、当時の人たちは気味悪がって近づきさえしなかった。そんなような人にもイエス様は向き合ってくださり、これを追い出してくださった。
でもそんな人の目に見たら、ものすごい状態の人だけをイエス様は癒されたわけでもなく、この直前には熱病の女性を癒されたから、↑にある様々な病気というのはたぶん軽い物から重いものまで、なんでもだった。
最初にも書きましたが、何か私たちはイエス様を宗教、と考えて、自分で自分で、と考える。イエス様との関係をすごく難しい物に「自分で」勝手にしてしまう。あれをしなければだめだ、応えてくれない、こんな事をイエス様のところに持って行ったって迷惑がられるとか、これくらいなら自分でなんとかする、とか。そうしてイエス様との関係を物凄く遠い関係にしてしまう。
でも、イエス様はそんな遠くにおられる方ではなかった。イエス様は天の御座から神であられるのにそのありようを捨てられないとは考えずに、人となって生まれてこられた。貧しい大工の家に生まれ、ご自身が一人一人を尋ねて行かれた。神の御子だから、王宮に住まわれてもいいのに。そこに期待奴は勝手に来い、金を払ったら叶えてやる、とかそんな傲慢な事を言ったり行動するような方ではないのです。
当時の宗教家たちは、この辺をめちゃくちゃにして、人を神様から引き離した。救い主が来ても、それはルール違反だ、とか言ってイエス様に近づく人を咎めたり、イエス様自身を迫害したり。
私たちは本来イエス様にあって生きた者とされるのです。私たちが神様を勝手に遠ざけてどうします。イエス様は私たちの最も低いものとなられ、近くに来られた、すぐ隣に来られたんですよ?なんと感謝な事でしょう。
それに、私たちが頑張って神様との関係を築いたんじゃない、私たちが勝手に神様を捨て、他の偽の神々(存在もしないから、「神」という固有名詞をつける事さえ唾棄すべき事ですが)に走った。こんな身勝手な罪人の私たちを見捨てられず、この関係を回復し、和解させるために、神様の方から、ご自分の御子イエス様を私たちの近くに、すぐ目の前に来させてくださったんですよ?
そしてイエス様のいのちを十字架に私たちの身代わりにかけて死なせ、復活させることによって、私たちの死は、裁きは取り除かれ、神様と和解させられたのです。私たちがイエスキリスト様を自分の罪のために身代わりに死なれまた復活された救い主として信じ受け入れるなら。
神様は私たちを難しい宗教的な、とか支配的な関係に入れたくてイエス様を十字架に架けたのではない。奴隷にしたかったわけでもない。私たちを神様の子として受け入れるために、もうその代価を支払ってくださっているのです。あなたに愛を初めに示されているのです。
私たちはイエス様を難しく考えてはいけない。もっとシンプルにイエス様を慕い求めよう。こんな事を祈っても答えられない、とかそんなことを考えなくても大丈夫。イエス様はあなたを癒される方。神様との断絶という最大の病を、裁きを打ち破ってくださった、神様との関係を癒してくださった。主の前に遜りつつ、大胆にシンプルにイエス様を求めて行こう。イエス様はご自身の御心をあなたの内に、また被災地の上に、現してくださるから。
イエス様はおっしゃった。「全て疲れた人、重荷を負っているひとはわたしのところに来なさい。わたしが休ませてあげよう」と。あなたと神様の関係はイエス様の十字架で今日も結ばれている。そのいのちによって保障されている。神様の約束のすべては十字架上で現された。今日、主の元に帰ろう。主のいのちを、養いを受け、この中を歩もう。
(祈り)ああ主よ、私たちのただ願うところは、あなたの家にシンプルに済む事です。あなたの愛を、あなたの御心がなることです。ああどうぞ、私たちの内に、また疲れている人たち、また被災地の上に、神様を知らずに苦しんでいる人たちの上にあの十字架の光を照り輝かせ、彼らがあなたという最高の希望を得、このいのちのうちに安らぎを得ることができますように。