(9月6日未明の北海道大震災で被災をして3)
「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
イザヤ書40章8節
今回の北海道の大震災では大きな被害がありました。北海道自体がそんなに地震が頻繁にあるわけではなく、それこそ普段震度1でも地震速報が出るくらい。しかし、今回の地震で震源付近では一気に崩れ去って行った。これまで当たり前にあると思っていたものが崩れ去って行った。
私も同じ道内の少し離れたところで被災し、家の被害はなくともライフラインの寸断によって電気が失われ、たかが電力、されどそれによって外部と連絡が取れなくなったり、これまで安全だった道路は危険な地帯となって行った。いつも当たり前のように買い物していたお店も開かなかった。あるところでは断水し、あるところでは病院さえ開けられない、本当に命に係わる状況に陥った人もいた。
一体私たちを保証する物はどこにあるのだろうか。改めて何もかもなくなる状況に置かれたとき、私は思わされた。暗闇の中に、与えられたランタンを灯しながら。
その時、昨日一昨日と御言葉を分かち合いましたが、さらに覚えさせられたのが↑の御言葉。神様の約束のことば。何もかもなくなっても、崩れ去っても神様がいる。神様の愛は永遠なんだ、と。
永遠、それは色んな意味がある。時間的永遠。神様の愛そのものの継続。尽きる事がない。ある時地震が来たら止むようなものではない。今は忙しいから、と放り出したり後回しにするようなものではない。神様の愛は、光は、常夜灯のように私たちの内に輝きを与えて下さるのだ。
6日、仕事から帰ってきて団地全体が暗闇に包まれていた。帰ってきたら停電も回復しているか、と期待して帰った現実は、未だに電気は回復せず。どうしたものか?とふと空を見上げると、そこには満天の星空が光っていた。神様の被造物である星が、輝いていた。神様の目はこんななにもなくなっている、閉じ込められてしまった中にまで注がれていたんだ、と知らされた。
神様の愛は、光は常夜灯のようにいつも輝いている。決してこれは消える事はない。どんな地震も、苦難も、神様の愛から私たちを引き離す事などできないのです。この関係の中で神様が働かれる中にあっては私たちが不足する事はない。どんなに目に見える物資が不足しようと、神様が私たちにその御目を注ぎ、養ってくださる。神様は私たちの造り主だから、私たちが産まれる前から今日に至るまで見捨てた日なんてなく、養い続けてくださっているのです。私たちに全ての良きもので。
私たちが神様を疑い離れ、捨てた日も、神様は私たちが帰って来るのを待っておられた。私たちが神様を否定し、こんな絶望下で神など役にたつだろうか?と疑う日だって、私あはあなたを覚え愛しているんだ、とその御目を注がれ、帰って来るように愛を注がれた。
それでも疑いかえらず神様から離れている私たちを神様は見捨てることなく、むしろ探しに来られた。天から降りてきて、人となって歩まれた。その絶望下にあって私たちを背負い、あなたを背負ってくださるために。あなたの抱える重荷を身代りに背負って、私たちの抱える最も重い絶望、罪の負債を身代りに背負って十字架に架かられ、身代わりに死なれた。そこまでしてまで神様は私たちを取り戻そうとされた。御子イエス様のいのちによって私たちをご自身者とに買い戻してくださり神の子とされようとされた。永遠のライフラインを御子イエス様にあって繋いでくださった、私たちと神様を。このライフラインを断ち切る事などできない。
この御子イエス様のいのちによって繋がれたライフラインにあって、神様は私たちにその恵みを大いに注いでくださる。そこまでされてまで私たちを愛してくださっている。この愛はサタンも、剣も、地震も、停電も、迫害も何もかも私たちを切り離す事はできない、永遠に立つ。罪の絶望下にまで下って来られた、死刑囚の横に、陰府にまで下られたイエス様の愛は今日も変わらない。その永遠性は渇くことなくあなたの内に溢れ流れさせて下さる。十字架から、このライフラインから神様はあなたに愛を注がれるのです。後は私たちがこの命綱、しぼむ事も枯れる事もなくあなたに注がれるこの愛を、ライフラインを掴むだけ。
まだ終わりの時は来ていない。神様はあなたに今日もその御目を注がれ帰って来る日を待っておられる。御子イエス様のいのちに添えて罪の赦しと、神様の子としての最高の特権を添えて。暗闇に光を照らすために世に来られた、神様との断絶という最大の闇を振り払うためにイエス様は来られた。あなたの絶望下にあっても。今日、私たちはこのイエス様にすがろう。このいのちを掴もう。何がなくなろうと、神様の愛は終わりの時までまだ伸ばされ続けている。イエス様の十字架にあって愛する、と宣言されたそのことばは反故にされる事もない。
さあ、今日私たちはこの罪の世にあって、また被災地にあって、どこにあってもこの希望を握りしめ、このイエス様と共に歩もう。あなたと神様は永遠に御子イエス様の十字架にあって結ばれるのだから、このいのちの中を歩もうではありませんか。
(祈り)ああ主よ、どうぞ今被災地にあって悲しみ悩みの中にある、絶望の中にある方々にあなたの憐みを、慰めを注ぎ、あなた光りを輝かせてください。そしてあなたという希望を知ることができますように。あなたのいのちが各被災地にあふれますように。そしてあなたこそ主であることを知ることができますように…