(9月6日未明の北海道大震災で被災をして1)
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」ヨハネによる福音書1章1-5節
9月6日、北海道で最大震度7の大震災が発生。私自身も帯広の方で震度4ではありましたが被災しました。東京でも7年前東日本大震災で震度5強の被災にあいましたが。
今回の地震は、今の時代にあってはありえない長時間の停電。信号機も動かない。情報も入らない。物資は備蓄分だけで店頭でそろわない。一体何があったのかわかりませんでした。家に帰っても電気がつかない、連絡を取ろうにも取れない。完全にある意味で闇の中に閉じ込められた状況でした。
私の働く施設も、ご利用者さんのいのちにも関わる停電の被害にあい、スタッフもどうにもならないほど初の体験で手探り状態。それでも事故は防ぎきれず大小の怪我があったり、通院の人も通院できなかったり。
でも、天地の初めからおられ、この天地万物を造られ、私たちにいのちを与えて下さった神様、私たち夫婦に子どもを与えて下さった神様は今も生きておられました。いや、生きておられる。神様は、神様と共におられ、上から見下ろしているだけ、時々助けて下さる、時々祈りを聞く、慰める、とかそういう方ではなかった。この方によって造られた私たちに対して神様は、今日もその愛を、御目を注がれておられました。
この暗闇の中に唯一私の内にあったのは神様が共におられる、というこの希望が私たち一家の中に光を灯されました。でも、ただ心の慰めになるだけではなく、神様は私たちに必要な光を備えて下さった。夜、真っ暗闇の中にあっても星空を輝かせ、真っ暗な家の中にあっては、人を通してランタンを与えて下さり(予めその方に与えて下さり、その方を通して神様は私たちのところに届けて下さった)、もうこれ以上の停電は子供の精神的にも厳しい、と思うところに、1週間はかかると言われた復旧(速くて3日)を、いち早く進めて下さった。いや、何よりこの情報を知った多くの姉妹兄弟たちが祈ってくださった、この希望、どれだけ大きかっただろう。
それだけではない。あの東日本大震災の時に被災した牧師の書いた本が近くにありそのメッセージや証を通して私たちを励まし、またかつて関東大震災があった際にある宣教師が残された讃美歌の歌詞もまた私を励ましてくださった。その讃美歌をあらかじめ教えて下さっていたことも。
「遠き国や海の果て、いずこにも住む民も見よ。慰めもて変わらざる、主の十字架は輝けり。慰めもて、汝がために、慰めもて、我がために、揺れ動く地に立ちて、なお十字架は輝けり。水はあふれ、火は燃えて、死の手ひろげ待つ間にも、慰めもて変わらざる、主の十字架は輝けり。仰ぎみればなど恐れん。憂いあらず、罪も消ゆ。慰めもて変わらざる、主の十字架は輝けり」
神様の愛は、闇はこれに打ち勝つ事はできない。どんなに私たちを絶望や失望のどん底におとそうとしようとも、神様の御目は天地創造の初めから、十字架、そして今に至るまで変わらない。この光は、私たちのためにご自分の御子イエスさまさえ惜しまず十字架に架けて死なせるほどに愛されているこの愛は、何者も打ち消す事はできない。どんなに情報がなくても、その御言葉の約束、光が届かないところはない。
今回の被災中、ある人たちにに暖かいタオルを朝、渡そうとしました。すると、ある一人の人が、どうせ冷たい水なんでしょう?そんなの私はいらない、と信じてもらえませんでした。しかし、他の人には、暖かいからこれですっきりしてね、と渡すと信じて受け取ってくれた。その人たちは暖かい思いをしましたが、最後まで信じなかったその女性は数が足らず、温かいタオルを受け取ることはできませんでした。
信じるのと信じないのとでは大きな差がある。福音も同じ。神様があなたを愛している事を知っているか知らないか、これもまた大きな差です。
はじめからおられた神様は、あなたをも造られた。その神様は、あなたの内に光を輝かせようとしておられる。神様は私たちを見捨てていない。見捨てるくらいなら、神の御子たるイエス様をどうして神様は見捨てて十字架で死なせるはずがあるだろう?あなたを滅びの穴から救い出すために、私たちを見捨てるのではなく御子イエス様を十字架で見捨てられ、死なせた。
でもその暗闇から復活させることで、光を灯された。あなたをも墓場から引き上げる力が、暗闇から引きありに引き出す力が主にはある。それは昔も今も変わらない。震災の暗闇の中にあっても、神様の約束は変わらなかった。私たちは真の希望の光たるイエス様に希望を抱こう。神様の愛は今日も変わらない。
(祈り)ああ主よ、今も北海道で被災され苦しんでいる人たち、私たちのところ以上に被災で苦しんでいる人たちの上に神様の御手が共にあり、慰め励まし、すべての目に見える者から見えない必要が彼らのところに届きますように。どうか、暗闇から光へ、何もないところから光を呼び出された、引っ張り出された、無から有を想像された神様が、ありえない状況にあっても神様の光を輝かせ、主の栄光が光り輝きますように。彼らが本当の希望を知ることができますように。 (9月6-7日北海道帯広市にて)