「あなたは盗まないだろう」
出エジプト記20章14節
私たちに神様は全ての良い物を備えて下さった。備えて下さっている。これからも。あなたは神様によって造られ、また養われている存在なのです。この素晴らしいことを忘れてはいけない。
さて、かつてイスラエルの民がエジプトの奴隷として捕らえられ、神様の憐みによって、救い出され、彼らの先祖たちに約束された地に導き出されている道中の事。神様は彼らが幸せなものとなるために、多くのことを語られた。その中の一つが十戒であり、その一部が↑のことば。それは盗み、という問題。神様は、あなたに盗まないだろう、と語られた。
まあ十戒というと、何か命令で縛り付けている印象がありますが、実は~してはならない、~しなさい、という命令は2つしかなくて、あとは~しないだろう、~するだろうという風になっているんです。神様の願望未来。盗むな、貧しく我慢しろ、ではなく、彼らを救い出された神様がどうして盗まなければいけない状況にするだろう、そういう訴えの部分が見えますね。神様が、彼らを救い出したんだよ、だから、と。
そう、私たちは神様によって造られたものなんです。そもそもの話を思い出してみると、人が生きる場所は神様が備えられます。まあ全地はすべて神様の物ですから当たり前の話と言えば当たり前なのですが。人は一番最初、自分ですむ場所を開墾したわけではなく、神様がアダムとエヴァの人生歩むべき場所としてエデンの園を備えられ、「神様が置かれ」ました。そう、人が生きるための場所はちゃんと神様は備えてくださります。
そしてそのエデンの園がどういうところだったかというと、神様は、「その土地から、見るからに好ましく食べるのによい全ての木を生えさせ」罪、神様から離され、霊的に死んでしまう木・善悪の知識の木から以外「園のどの木からでも思いのまま食べてよい」、さらにふさわしい助け手を与えるために、「その女性を人のところに連れてきた」と、人間の生活の基本である衣食住、まあ衣は裸だったのでないのですが、気候は守られていたのでしょう、衣食住全て神様が与えたのでした。そしてもう1つわかるのは、神様はご自身の愛する者のためには惜しまず与える、という事です。
また、遊牧民であるイスラエルの民に、世代がどんなに変わろうとその約束を反故になさること無く、乳と蜜の流れる地を与えるよ、と約束し続け、しかも、約束は果たされ、しかもその地に向かう途中の旅路でさえ、水やマナをもって食は守られ、40年衣服はすり切れず守られた、約束の地について、その地の食べ物が与えられてマナが降るのがやんでも、その年の内に収穫物を得たのでした。
こうして見てわかるように、神様はご自身のもの・子に対して責任を持たれます。造られてはい、終わり、ではない。神様は盗む必要がないよう、与える神様なのです。備える神様なのです。それは目に見える物理的なものだけではない、霊的な私たちの必要、助け主、あらゆる必要を備えて下さるのです。私たちは神様を疑い、神様の愛を疑い、他の物に頼る。そして神様との密な関係をないがしろにし、壊す、盗む。
でもイエス様は「明日の事は心配するな」とおっしゃられたのです。それは何もなくても我慢しろ、とかそういうことじゃない。あなたという存在を丸ごと愛された神様が、ご自分の御子イエス様を与えて下さった。あなたの人生そのものをあなたが心配する前に、神様が心配された。あなたが滅びゆくことを我慢できず、心配された神様が、御子イエス様を遣わされ、具体的な必要に答え、でもそこで終わらず、あなたが神様の手からサタンに、罪に盗まれ、本来の姿を、神様との関係を盗まれ捕らえられている事を我慢できずに、その贖いの代価として御子イエス様を身代りに十字架に架け死なせ、私たちが支払うべき刑罰の代価を御子イエス様に負わせた。
そこまでしてあなたという人を大切に思い、取り戻されたのです。神様はあなたにイエス様のいのちを与え、私たちに罪の赦しと永遠のいのち、神様との和解をもたらしてくださったのです。そこまでしてでも神様はあなたの事を心配しておられる。私たちが不安に思い心配になって、霊的な盗みに走る必要なんてない。あなたはイエス様のいのちによって買い戻された存在、もう神様のもの・子とされたのだから。
聖書には素晴らしい約束があります。ローマ人への手紙8章32節「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」。御子イエス様を私たちの罪の身代わりとして、赦すために十字架にまでかけるほどの方が、あなたの必要を満たさないはずがありません。神様は与えて下さる、あなたの必要すべてに応えられる神様なのです。神様が買い取られた生涯だから。
同時に、神様からの霊的な命を奪われることがないよう、神様から与えられている祝福を、あなたの内に蒔かれた御言葉、福音、新しいいのちがサタンから奪われる事がないよう、いつも神様の命、愛、確信に立てるよう、神様との時間を盗むのではなく、神様としっかりと繋がり、その祝福のなか歩もうではありませんか。神様がくださった新しいあなたを、自分の手で奪い取り削ってはいけない。神様はあなたに最高のものを与えて下さったのだ。
イエス様は山上の垂訓でこうおっしゃりました。「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところにあなたの心もあるからです」。神様はあなたにいのち、祝福を「与えてくださる」神様のご計画、ご愛は何者も無視食わせ、壊す事はできない。このイエス様の十字架によって結ばれたこの関係に心を今日、またいつも、置きましょう。だってあなたは神様のもだから。
私たちに神様は全ての良い物を備えて下さった。備えて下さっている。これからも。あなたは神様によって造られ、また御子イエス様にあって養われている存在。あなたにこの確信はありますか?