ー神様の宝ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。」

申命記76-8

 

あなたは神様にとっての宝。ご自分の御子イエス様のいのちを身代りに差し出すことができるほどに愛されている宝。この事を忘れてはいけない。

 

さて、紀元前の話になりますが、イスラエル王国が成立するよりもずっと前の話。かつて神様は、世界的な飢饉から民を、また世界を救うべく、一人のイスラエルの民をエジプトに遣わし(まあ奴隷としてですが)、彼は後に総理大臣としてこのエジプトを、また世界的飢饉から救う、という出来事がありました。そうしてしばしエジプトに数百年滞在していました。最初に移住してきたのは大体70人。

 

そして数百年が過ぎ、気がつけばエジプトの脅威となるほどの人数に成長していました。ざっと200万前後?子の多く増えたイスラエルの民を恐れ、またこの神様の救いのわざを知らない王朝が起こり、ファラオはイスラエルの民を奴隷とするのでした。そこで神様はモーセという人を通してイスラエルをエジプトから救い出し、彼らを苦しめる闇を打ち払い、滅ぼされたのでした。そして今や、彼らの先祖に約束したその地に連れ上られ、今その土地を目の前にしていたのでした。

 

そして↑のように神様は語られたのです。まあ↑のことばはほんの一部なのですが。神様は物凄いことを彼らにおっしゃった。神様は彼らを「恋い慕」われている、宝の民だ、と。

 

なんというすごい話だろう。でも彼らは優れた民だったのか?と言われたらそうでもない。↑にあるように別に大きい民族でもなければ、格別によい行いをしたわけではない。むしろエジプトを出て今に至るまでの40年間、何度神様に逆らい続けてきたことか。逆にむしろ見捨てられても仕方なかったと言ってもいいほどだった。でも神様は見捨てなかった。

 

それはどうして?「主があなたがたを愛されたから」。それゆえに神様はその契約を忘れなかった。見捨てられなかった。だから彼らを救い出されたのだ。愛するがゆえにいつまでも暗闇の中に閉じ込められている彼らを見捨てられなかった。そして救いだし、神様の宝の民・神様のものとされた。

 

神様の行動の動機は、あなたへの愛です。↑の話はイスラエルの民だけの話ではない。もちろん語られた当初はイスラエルの民相手に語ったものですが、その思いは私たちに対しても同じです。あなたも神様に造られた大切な存在。宝なのです。神様はあなたを恋い慕ってやまない。信じられるだろうか?考えても見れば親がどうして自分の子どもを思わないでいられるだろう?ならばあなたの創造主である神様がどうしてあなたを恋い慕わないはずがあるだろう?

 

だから神様はご自身の民を宝、と言われたように、私たちに神様にとっての宝を与えたい。親が子に最高のものを与えたいように、神様は最高の物で私たちを満たし、生かしたいのだ。

 

でも私たちはイスラエルの民のように勝手に神様から離れて行ってしまい、神様を捨て、自分の好きなように生きる。でもこのまま神様から離れては、本当のいのちを私たちは得ることができず、むしろその罪ゆえに罰せられ、死ななければらない。罪から来る報酬は死と聖書にあるように永遠の神様との別離、裁き、死。

 

そこで私たちをその霊的なエジプト、暗闇、罪の奴隷の中から救い出すべく、神様の最も最高の宝であるはずの神の御子たるイエス様を私たちのところに遣わし救われるために来られた。そしてそれだけに終わらず、私たちの罪を身代りに背負われ、十字架で身代りに罰せられ、身代わりに死なれた。そうして私たちをその滅びの道、中から救い出されたのです。そして御子イエス様を自分の罪のための救い主として信じ受け入れる者には、イエス様と共に私たちもその復活の恵みに与り、私たちは神様の子とされる。神様の宝の民となる。

 

そう、あなたが御子イエス様を救い主として受け入れるなら、あなたはもう神様にとっての最高の宝となる。私たちはこの神様の資産を相続するのです。あ、神様が死んで遺産相続に与る、という意味ではありませんよ?本来神様が私たちに持っておられた神様の最高の計画が、御心があなたの内に現され、本来あるべきあなたとなる。イスラエルの民に備えていた地のように、神様があなたの内に住まわれ、ご自身の栄光をあなたの内に現される。いや、今もあなたの内に現されているんですよ?

 

私たちはもっと神様に信頼しよう。あなたのために御子イエスさまさえ惜しまず死にさえ渡される方が、あなたを取り戻すためなら惜しまず与える方が、あなたを恋い慕われているということを。そこまで愛された方が、あなたを思っておられる事を。

 

もう一度言いますが、あなたは神様にとっての宝。ご自分の御子イエス様のいのちを身代りに差し出すことができるほどに愛されている宝。この事を今日覚え歩もう。御子イエス様にあって、その十字架の血潮で結ばれたその契約をだれも打ち砕くことはでききない。神様とあなたは御子イエス様の十字架によって繋がれ神様の子とされているのだ。あなたの内にはもう神様が住まわっている。この事を忘れず今日も歩もう。イスラエル頼みをその愛ゆえに見捨てなかった、救われた神様は、今日もあなたと共におられる。この神様を待ち望め。神様が与えて下さる宝を、日々を、喜ぼう。

 

仮に今が困難であっても神様は必ずあなたを愛するがゆえに最高のところへと導かれる。今はその途上にあるのだ。神様がどれだけの愛を示され、どれだけ素晴らしいイエス様を与えて下さったのかを覚え、主と共に歩もうではありませんか。