ー喜びにあふれさせてくださる神様ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。」

ネヘミヤ記1243

 

神様は、どうも宗教のイメージが強くて、私たちを支配する、なんだろう独裁者のようなイメージを持つ人が結構多い。下手をしたらクリスチャンであっても。でもそうではない。神様は私たちを喜ばせ楽しませたいのだ。

 

さて、↑の話は、イスラエルがバビロン捕囚から解放されて後イスラエルに帰還し、何度も妨害に会いながらもついに、神殿再建とその城壁の建設が成し遂げられたときの民の様子を記録したものです。

 

何かこの出来事だけに注目すると、一見一つの事業が成功したから喜んだんでしょ?と思うところ、そうではないのです。↑にあるように「神様が彼らを(女も子どもも)大いに喜ばせてくださった」のです。へ?だから?と思うかもしれませんが、考えてみれば彼らは神様を捨て、神様の恵みなどいらない、自分たちの好きなように生きる、と神様から離れ従わなかったゆえに神様の恵みを失い、捕囚にあった。自業自得だったのです。

 

しかし、神様は捕囚にあってから解放までの約70年、決して彼らを見捨てなかった。彼らの間に彼らを助ける人たちを王家や役人、民の間に置かれ、その彼らを通して神様は彼らを養い助け励まし続けた。70年後に開放する、という約束はしていましたが、それまで罰だから、と言って放置される事なく神様は彼らを守り続けた。何度も迫害に会いながら、時には民の消滅さえ考えられるほどの大きな迫害がありながらも神様は彼らを見捨てなかった。彼らは神様を見捨てたが、神様は彼らを見捨てなかったのです。そしてそのお約束通り神様は彼らを、解放した。しかも他の国の王に神様が直接働きかけ、彼らを捕らえる国を打倒し、さらに解放させた。

 

でも、神様はそこでは終わらなかった。救い出して終わりではなかった。神様は救い出して終わらずに、彼らの新しい生活、というかいのちをもう一度立て直された。神殿と共に。そうしてイスラエルの民は、これらすべての中に神様は確かに働かれ、喜びに満ち溢れさせてくださった、と告白するのでした。何か事業が成功したからではない、神様が働かれるすべてのところに、喜びがあった、と。その喜びの声は、遠くに響き渡るほどに大きな喜びであった、と。

 

私たちが忘れてはいけないのは、神様は私たちを喜び楽しませたいのです。私たちは神様をこの世的な支配者のようなイメージで見ますが、とんでもない。神様は、ご自分の手で私たちを精魂込めて造られた神様は、支配者ではない。私たちの主として、喜びで溢れさせたいのです。親子関係でもそうではないですか?親は子供を支配しますか?(まあ最近の世の中はそんな風潮が強いですが)違う。子どもに親としてできる最大限の愛を注ぎ、喜びで溢れさせたいではないですか。ならば神様の愛はそれ以上。

 

私たちは神様を見捨てた、捨てた。でも神様は私たちを見捨てることができず、もう一度本来あるべきあなたへと回復させるため、罪の奴隷、苦難、暗闇、サタンの手から解放するため、滅びの中から救い出すために、解放するために、私たちが支払うべき死・いのちの代価を、御子イエス様に身代りに背負わせた。そして十字架に架け、身代わりに死なせ、なおよみがえらせたことによって、イエス様を自分の罪のための救い主として信じ受け入れるすべての人を同じようにその罪の支配から、奴隷から、共に解放してくださった・してくださるのです。

 

そして、イスラエルの民にもう一度その神殿、本来の彼らの姿を、神様の民としての姿を取り戻させられ、喜びにあふれさせたように(まあまた後に神様をまた見捨て、ついに神の御子イエス様を十字架に架けたのですが)、あなたを新しく生まれさせ(新生)造り変え、神様の喜びにあふれさせる新しい関係、真の親子関係に引き入れて下さるのです。それこそ私たちの喜びの声が遠いところにまで響き渡るほどの神様の御心を、ご計画をあなたの内に成してくださるのです。

 

あなたは神様をどのように見ているだろうか?本来あるべき正しい関係を持っているだろうか?いや持たせていただいているだろうか?神様はあなたを奴隷のような者にしたいのではない、支配者になろうとしているのではない、あなたと真の親子関係、イエス様の十字架のいのちによって回復された愛で結ばれた親子関係、家族へと招きたいのです。真の父なる神様としてあなたの内にその愛を、御心を注がれたいのです。それを御子イエス様によって実行に移されたのです。今日、私たちはこの神様の元に帰ろう。そして神様と喜びの日々を歩もうではありませんか。たとえそれが逆境の日であっても捕囚の地にあって支え続けて下さった神様はあなたと共におられ、親としてあなたと共におられ、導かれ続け、解放へと向かわせてくださる。ただただこの神様の愛の中期待して歩もう。