「彼はその子ソロモンを呼び、イスラエルの神、主のために宮を建てるように彼に命じた。ダビデはソロモンに言った。『わが子よ。私は、わが神、主の御名のために宮を建てようとする志を持ち続けてきた。…そこで今、わが子よ、主があなたとともにおられ、主があなたについて語られたとおり、あなたが、あなたの神、主の宮をりっぱに建て上げることができるように。ただ、主があなたに思慮と分別を与えて、あなたをイスラエルの上に任命し、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。主がイスラエルについてモーセに命じられたおきてと定めをあなたが守り行なうなら、あなたは栄える。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。見なさい。私は困難な中にも主の家のために、金十万タラント、銀百万タラントを用意した。また、青銅と鉄はあまりに多くて量りきれない。それに、木材と石材も用意した。あなたが、これらにもっと加えてほしい。あなたのもとには、石を切り出す者、石や木に細工する者、各種の仕事に熟練した者など、多くの仕事をする者がいて、金、銀、青銅、鉄を扱うが、その人数は数えきれない。立ち上がって、行ないなさい。主があなたとともにおられるように。」
Ⅰ歴代誌22章6-16節
神様の愛は、一時的に向けられるものではない。神様はあなたのうちに御心を現したい。ならば私たちは神様の御心がなる事を期待し待とうではないか。
さて、↑の話は、ダビデというイスラエルの2代目の王様が息子であり3代目の王として指名しているソロモンに残した遺言のようなものの一部です。
ダビデ王、彼は天地万物すべてを造られ、また治めておられる唯一真の神様を信じていました。彼を造られた神様を。私たち日本に住んでいるからか、神がひとり?ずいぶん傲慢な「方」なんだね、なんて人もいる。八百万の神、ないし神などいない、そんな風に言う人もいるかもしれない。神なんていない。自分の好きなように生きる、という人も。
でも、本当に生きた神様、存在する神様は他にはいないのです。神様は別に私たちを操り人形のようにしたいわけでもない。神様は人に自由意思を与えたし、養い続けてくださっているのです。私たちは神様なしに生きることなどできない。神様が今天地万物をすべ治めてなお神様が私たちをまだ見捨てないでいて下さるからこそ私たちは生きることができるのです。私たちは神様に見捨てられては生きていく事などできない。
ダビデはその点でかつて一度大きな失敗をした。彼は王として成功して行ったある日、自分の部下の奥さんと不倫し、その部下である旦那を隠ぺいするために殺すという最悪の罪を犯した。これゆえに神様との関係が壊れた時、自分勝手に生きられる、とか考えず、むしろ神様と離れてしまった自分の骨が干からびるほどだ、と告白した。
私たちは神様なしで生きることはできません。だからダビデは自分の人生の中心に神様にいて、治めていただきたかった。だから彼は国の中心に、自分を治める真の王・神様として、神殿を建ててそこに神様を迎えたかった。だから彼は神殿を建てようと志し続けたのです。
実に↑の話の大事なポイントは実はここにあるのですが、ダビデは残念ながら血を流し過ぎた故に、神殿を残念ながら建てることを神様から赦されなかった。でも、↑の彼のソロモンへの遺言を見てほしい。「主の御名のために宮を建てようとする志を持ち続けてきた」。彼はこの死が近づくこの日にあっても神様の宮が建てられる志を持ち続けていたのです。彼の願いは、神様が彼の中心におられ治めてくださることに他ならない。だから、目に見える神殿は建てられなかったとしても、彼は神様に、神様の御心を、愛を彼のうちに現してくださることを願い続け、神様は彼のその思いに応え、目に見える神殿を建てる事は許可しなくとも、彼という名の神殿のうちに神様は住まわれ、そのご栄光を現し続けて下さったのです。
だから、ダビデがソロモンへ、そして私たちに訴えたかったのは、目に見える神殿を建てる事が大事なのではない、神様が自分のうちに住まわれ、自分の意思が自分を治めるのではなく、神様の御心がなるよう求める、神様の神殿を自身のうちにも「志し『続ける』ように」、建てるように訴えたのです。そして神様の御心は必ずなるのだから、とダビデはソロモンのためにその資材すべてを用意、準備していたように、今この瞬間何も起こっていないように思えようとも、神様がなしてくださることを信じ続けるように、そのためにあなた自身も待ち望み準備するように、と訴えたのではないだろうか?
↑の話は、実は同時にバビロン捕囚後に帰って来たイスラエルの民に、もう一度神様に帰るように訴えるためにエズラという人が書き残したもの。彼は、本当の神殿、私たちという人は神様が中心におられ、治める時に、本来あるべきあなたとなる、とこの箇所を取り上げながら訴えた。
私たちは忘れてはいけない。私たちもまた失われ壊れてしまった神殿なのです。神様のいのちがなければその神殿はすたれていくだけ。壊れ、暗くなり、いのち溢れるものではなくなる。立派な神殿をダビデは立てる様にと訴えましたが、本当に立派な、本当のあなたは神様が建て上げて下さるのです。神様が私たちのうちに住まわれる時、本当に立派な神殿となっていくのです。
そのために、神様から離れ、壊れてしまった、神様の御心からかけ離れた罪に汚れた私たちという神殿を修復すべく、神様と私たちの関係を修復すべく、ご自分の御子イエス様を人として生まれさせ、その間に住まわれご自身の愛を注がれ続けた。でもただ困ったことを解決するだけではない、壊れた神殿を、死していくしかない私たちの本来支払うべきし、刑罰を御子イエス様に身代りに背負わせ、罰し、死なせ、またよみがえらせることによって、イエス様を自分の罪のために身代わりに死なれよみがえられた救い主として信じる私たちの壊れた神殿、私たち自身を神様は造り変え、立派な、神様のいのちが、御心が、愛が溢れる神殿として新しく造り変えて下さるのです。
神様はあなたの神殿を壊れたままでいる事は願わない。だからイエス様を身代りとされた。偽の偽りの神を自分の王として、滅びゆく私たちを、自分を神として神様を退け滅び行く私たちを、取り戻すために行動を起こされたのです。
私たちは自分の神殿に誰を神として置いているだろうか?もう、私たちは偽りの神々や思想などを起き、それに「支配『させる』『される』」のをやめよう。これらはあなたを本当の意味で生かす事はできない。あなたを、御子イエス様のいのちを身代りに差し出してまで愛される神様、その神様の実があなたを本当の意味で生かすことができる。それほどの代価を支払ってまで取り戻されたのだから。
あなたを愛し、ダビデがその子ソロモンに資産を残したがごとく神様は、あなたが本当に立派な神殿となるために最高の資産、御子イエス様のいのちをあなたのために準備された。今日私たちはこの新しく神様に造り変えていただき、唯一真の神様をあなたの内にお迎えし、この神様の御心がなる事を、その神様がなされることを大いに「期待し『続けよう』」。神様が、あなたを本当のあなたへと導かれるから。イエス様が共に住まうのだから。