「神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、『パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる』と言ってみた。そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。すると悪霊が答えて、『自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ』と言った。そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押さえつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。そして、信仰に入った人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。」
使徒の働き19章11-20節
イエスキリストを救い主として信じるということは比類ない宝を得ることである。そしてこの宝に勝るものはない。あなたはこの確信を持っているだろうか?
昔、パウロさんという人がエペソという地域でイエスキリストについて証していたときの出来事です。この地域はアルテミス神殿にでの偶像崇拝や神殿娼婦があったりと、モラル崩壊、ぐちゃぐちゃな地域でした。またその偶像を礼拝するために、淫らな行為を礼拝として行うなどしていました。彼らはそれでもきっと何かしらの神、救いを求めていたのでしょう。そんなところにパウロがやってきて、伝道をしました。
そしてこの中で病の癒しや悪霊を追い出すなどの働きもしていました。それは真の神様の前には彼らが崇拝する悪霊も、恐れる病も立ちおおせる事はできない、何よりイエス様の十字架によってこれらは打ち砕かれた、ここに救いがある、と具体的に神様はパウロを通してこの地域の人たちに示されたのでした。だから、わたしのところに帰りなさい、ここにいのちがあるんだ、と。
真の神様以外に救いはない。真の神様の前には悪霊はひれ伏すしかなかった。そして私たちが自分の罪を悔い改め、イエス様を自分の罪を身代りに背負われ十字架に架かられ、死なれ、また復活された事、これを信じ受け入れる時、私たちは神様の子とされる。でもそこでは終わらない。神の子とされたあなたの前に、イエス様の御名ゆえにサタンも悪霊もあなたに手出しする事などできない。イエス様の愛から患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣…これらのものはあなたを引き離す事はできないのです。事実悪霊は魔術師に、イエスもパウロも知っている…と彼らの前に何もすることはできなかった。ただ、偽魔術師の前にはキリストの救いを持たない彼らには襲い掛かり打ち負かしましたが。
これを見ていたエペソの人たちは、何と驚くべき行動に出た。何と彼らは、自分たちの持つ、これまで信頼していた魔術の本(まあそれをもって自分たちの生活を占い的に頼りにして生活、商売をしていたのでしょう)を全て焼き払ったのです。その額現在の日本円にしたら4億5千万円分。自分たちのより頼んできていたものは生きてもいなければ何にもならない。真の神様はこの方のほかにはいない、この方に他より生きる限り、もはやこんな本など何の価値もない、と焼き払ったのです。そして自分たちのしてきたこと、罪を神様の前に悔い改め、彼らは救いに招かれていったのでした。
そして神様に頼る、その御言葉に信頼し生きる彼らに神様は喜んで答えられ、彼らを大いに祝福された。このように、神様のみことばは、力強く成長し、ますます優勢になって行ったのでした。
みなさん。最初にも申し上げましたが、イエスキリスト様を救い主として信じ受け入れるということは比類なき宝を得るようなものです。この宝に勝るものはありません。私たちが頼りにしているものは限界もありますし、力はありません。あなたを救いませんし、いのちをもたらしません。そこには神様がいないからです。しかし、私たちが神様の子とされる時、私たちは聖霊様を受け、神様の子としての特権を受けるのです。あなたのうちに、あなたのために惜しまず命を身代りに差し出されるほど愛する方があなたのうちに住まわれ、この方の前に、このイエス様の御名の前に、悪霊も、世も、患難、苦しみ、迫害、上、はだか、危険、剣、病…これらの物は何もすることはできない。これらが襲いかかろうとも、そのイエス様があなたと共におられ戦われる。何を恐れる必要があるだろう。
この方に信頼する時、私たちは力強く成長し、そのうちに神様の栄光が現され、このエペソに起こったような驚くべきことが起こるのです。あなたに何が起こるかは、わたしは神様ではないので分かりませんが、それは私たちが持つ、魔術の本ではないより頼む何かの本など何の意味もないほどに、私たちが罪の赦し、悔い改め神様に帰ることには大いに意味がある。私たちを滅びから救い、神様の子とされる、神様のもの・子とされるのだから。あなたのために命まで惜しまず与え、死にさえ従われる方があなたのうちに住まわれ、生きて働かれ、世の終わりまであなたと共におられるならこれ以上の祝福はないのではないか。最後は滅びではなく、天の御国に迎え入れられるならなおのこと。
イエス様は宝を見つけたなら、その畑を打ってでもこれを得ようとするではないか、とおっしゃった。私たちはもう一度この救いの喜び、意味を思い起こそう。そしてこの方にあって生きよう。あなたを力づけ、生かし、本来あるべきあなた、御子イエス様のいのちを持ってまで取り戻したあなたへの本来の御心があなたのうちに現されるから、これに期待しよう。罪という本、神を神としない不信の本、これらを焼き払おう、いや焼き払っていただき、新しく神様の御心をあなたのうちに刻んでいただこうではありませんか。あなたは今日、このイエス様の救いの前にどう応答するだろうか?