ーあなたの髪の毛の数も知っている神様ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」

マタイによる福音書1028-31

 

神様はあなたのことを良く知っている。あなたの髪の毛の数さえ知っている。まあ私のように頭の薄い人間は数えやすいのかもしれないですが、それでも、ねえ。まあ私たちの頭の先からつま先まで、あなたのすべてをご存知で心配される、と言ったらわかりやすいでしょうかね。私たちは神様は私のことなんか心配していないんじゃないか、と思うけど、そうではないんです。

 

神の御子たるイエス様はある時、私たちをどのように思っているのか、上のように話しました。ちなみに、雀というのは2羽セットでなければ売り物にならないそうで、ようするに1羽はおまけ的な扱いなんです。1羽では値段もつかないほど価値がないもの、そういう存在だったようです。ちなみにもっというと、1アサリオンというのは当時の1日の労働賃金の1/16だそうで、2羽で1アサリオンですから1/32。仮に日当を今だと8000円程度?にしたら、1羽300円もしない。しかも1羽じゃあ売り物にもならないから、使いようがない…そんな雀1羽だって神様の赦しなしでは死ぬことはない、神様が養っているじゃないか、というのです。神様は、その1羽にさえ目を留め、心配し、また養ってくださっているのです。まあ神様の目は本当に隅々まで行き届き、また養われるんですね。

 

でも話はそこでは終わらないんです。イエス様はそんな雀さえ養われるのに、それよりもずっとすぐれたあなたをどうして養わないはずがありますか?なんで恐れる必要があるんですか?と。何を恐れる必要がありますか?と。

 

イエス様は、その心配、私たちへの愛を体現された。遠くで見つめて、何か時々困った人のところに行って助けるわけではない、その人の横に行って、具体的にその人の悩みを、恐れを、問題を取り除かれた。でもそれだけで終わらない。私たちが罪によって滅びゆくしかない、その恐るべき死の問題を除き去るべく、私たちの罪をも背負い十字架に架かられたのです。身代りに私が背負おう、と。1羽では何の役にも立たない雀さえ養われる神様は、神様から離れて行ってしまった私たちをも見捨てる事は出来なかったのです。勝手に神様から離れていく私たち、神様から見たらそんなの見捨ててしまえ、と言われても仕方ないような存在の私たちを見捨てられなかったのです。だってあなたは神様が精魂丹精込めて造られた最高の存在だから。だから見捨てられない。だから御子イエス様のいのちという代価を支払ってでもあなたを買い戻してくださったのです。1羽では誰も買い手のつかないような雀さえ養われる神様は、そんな誰も買い手のつかない、見捨てられる私たちをも買い取ってくださった。

 

そして、上の言葉、もう一度読み返してみると、あなたの「父」となってくださったのです。あなたが罪を悔い改め、神様に立ち返るなら。つまり神様の養い、親子関係に招き入れられるのです。買い取って奴隷にするのではない、召使いにするのではない、友、いや家族として迎え入れてくださるのです。何という感謝な話だろう。あなたを憐れまれるだけではない、神様はイエス様の十字架にかけてあなたを養われる神様なのです。行動される神様なのです。あなたは御子イエス様のいのちの代価によって買い戻された優れた大切な存在なのです。

 

私たちはこの神様を恐れよう(ビビる、という意味ではなく)、この神様の元に帰ろう、イエス様によってもうその道は開かれているのだから。1羽では買い手のつかないような雀以上にあなたを愛し、御子イエス様のいのちという大金を持って買い戻された神様があなたを今日も待っているから。不安も恐れも、すべての重荷を主の前に持って行き、おろそうではありませんか。主はあなたに答えてくださる。