ー本当の豊を与える方に望みを置くー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」

Ⅰテモテへの手紙617

 

本当に富むものとしてくれるものは、世の誰でもない、お金でもない、成功でもない。神様。その富みとは決してお金ではない(まあ経済的祝福もあるでしょうがそれが富みというのは・・・?本当にそうかな?貧しい時はじゃあ豊かではないと言えるか??)。神様が本当の意味での富みを私たちに与えてくださる。

 

上の手紙は、パウロという人が若い伝道者テモテに充てて書いた手紙です。まあ別に彼は、お金を持つ事を否定しているわけではない、というのは上の手紙を読んでみればわかる通りなのですが、肝心なのは私たちが誰に望みを置くか、そのことをテモテに伝えているのです。先に言っておきますと、神様が私たちのすべてを養ってくだ去るので、その辺はご安心ください。

 

話を戻して、パウロという人はある意味では優れた宗教家につき、国の中でも立場もあり、成功者だったと言える人でした。律法(分かりやすく言うなら神様のことばについて)を守る事、その中身について右に出る人がいるのか?というレベルだったかもしれません。しかし、彼は神様にそうして仕えているつもりが、神様より、その宗教的行為、知恵に縛られていた。その内には彼は何の喜びもなく、彼をこの闇から救い出す、死していくしかなかった、彼を救う救い主を待ち望んでいたのでした。そして彼は迫害していたクリスチャンが救い主だと信じていたイエス様と何と出会うのでした。あの十字架に架かって死んだ、神様を冒涜する者(実際は本当に神様の御子だったのですが彼は知らなかった、認めたくなかった)だろう?しかし彼はこのイエス様によって罪の赦しをいただき、神様の子とされたのでした。復活のイエス様と出会い、彼が求めていた本当の救い主と出会い。

 

自分の知恵や宗教的行為で十分だ、と思うのなら、その地位で十分だと思うなら、そこにいのちがあるなら、救いがあるのなら、別にそんな十字架で死んだイエスなど、認めるはずがない。ああそうですか、で終わるところでしょう。別にあなたなど私はいなくても生きていける、と。何やらこの辺、世の人の考え方とそっくりですね。クリスチャンでもいますよ?救われた、後はあなたなしでも生きていけるからってそのままイエス様との関係を断ち切ってしまう人。私も一時そうでした。でもそこには命も喜びもなかった。

 

私たちにとって本当に必要な富み、それは第一には、救い。罪の赦しをいただき神様の子とされる、永遠のいのちです。そしてその中において神様が養ってくださる一日一日の愛なのです。導きであったり御言葉なのです。そしてその中において神様は私たちに必要なすべてを備えて下さる、ここに富みがあるのです。

 

このことをパウロはテモテに訴えるのです。特にテモテはイエス様を信じる伝道者。それを告白し活動すれば当然迫害が世の中からある。ローマ帝国や、ユダヤ教徒による迫害さえあった。当時イエスを救い主として信じることはリアルに死ぬことさえ意味していましたから。神様を切り捨てればある意味で生きていける。でもそこには世にある成功や富みがあっても救いはないし、神様の恵みはそこには注がれない。神様はテモテを、私たちを楽しませようと、日々共に生きその愛を注がれ、導かれるのに、その神様より、やがては朽ち果てるものを追い求めてはいけない、と。全てを備え、天の御国に私たちの住まいさえ用意され、私たちを、あなたを花嫁として迎える準備をしているイエス様に望みを置くように、と。

 

みなさん、神様は私たちを楽しませてくださるんですよ?信じたら何もかも我慢しなければいけないように感じる?言え神の国とその義とをまず第一に求めるなら、それらに加えてすべての必要を神様は満たしてくださるのです。何より、その中で私たちや世が与えることのできない想像もできない楽しみを、共に歩みながら与えてくださる。今、問題が解決せずに心が富まなくとも、自分の思う通に行かずに心が富まなくとも、神様に期待しよう。今癒されなくても、今自分の思う結果という富みがなくとも神様の豊、御心がそこに働くことを期待しよう。あなたのために御子イエス様のいのちさえ与えてまであなたを取り戻し、あなたを楽しませたいと願っておられるのだから。日々この方に望みを置き歩もうではありませんか。神様は楽しませ、富ませる神様。神様は弱い者を強いと言わせ、貧しい者を豊かだと言わせてくださるかた。この方に望みを置き歩もう。もっと神様との関係を楽しもう!「むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」