「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」
伝道者の書3章1節
人は、自分の思う時に思う通になる事をのぞむ。求める。今これがほしいんだよ、こうしてほしいのに、なぜ神様はこの祈りに応えてくれないのだろう?そう疑問に思うことも多々ある。
でも神様は別にあなたのことを忘れているわけではない。愛していないわけではないのです。神様は私たち一人ひとりを愛しておられる。その証拠に、神様から勝手に離れて行って、神様から見捨てられてもおかしくない、上のように、神様、助けてよ、なんて言う資格なんてない者だったんです。でも、あなたを造られた神様はあなたを見捨てる事は出来なかった。
だから、神様と私たちの断絶された関係を取り戻すべく、神様からまずご愛を示された。まず、ご自身の愛を溢れんばかりに私たちにあらわすために人となって来られ、一人ひとりを訪ね歩き、彼らに惜しむ事なく愛を注ぎ必要に応えいてった。でもそこで終わらずに、私たちにとって最も必要な罪の赦し、救い、永遠のいのち、神様との失われてしまった関係、死んでしまった関係に命を吹き込むために御子イエス様を十字架に架け、私たちの身代わりに罰せられたのです。そうしてまでもあなたという人を取り戻したかった。
あなたのためにご自分の一人子なる御子イエス様を死に渡すことができる方が、あなたを忘れると思いますか?忘れられるなら、神様から勝手に離れて行き、神様を無視し、自分勝手に生きる私たちのことなんてとっくの昔に見捨ててます。でも、それをしなかった。イエス様を裏切った弟子たちを前に、イエス様は彼らの罪の赦しを神様の前に懇願し祈った。十字架の上で。信じられるだろうか?でもこれが神様の愛なのです。
そうまでして取り戻したあなたへ神様は一人ひとりに、計画を持っておられる。時にかなった計画を。愛を。今私の目には、あなたの目にはあり得ない状況だとしても神様はその中で完全に働かれる。イエス様の十字架にかけて。帰って来たあなたのうちに完全にそのご愛を現してくださるのです。
上のことばにはまだ続きがあります。「私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。」そう、神様が私たちに持っておられる愛は、計画は私たちが付け加える必要なんてない、疑って、別な何かを求めて行くという取り去ることもする必要はない。付け加えたり、取り去る必要のない完全な愛をあなたの上に、イエス様の十字架によって注がれているのですから。
今日、私たちはもう一度この神様の愛を握りしめよう。
あなたは御子イエス様のいのちをもって買い戻された神様にとって大切な人であるという事をもう一度覚えよう。それほどまでに神様の愛は、ご計画は人間には測れるものではない。ただただ、この神様に期待し、委ね、また祈り、従って行こうではありませんか。人が付け加えようとする不完全なものではなく、神様がなさる完全なその愛、みわざに期待して。時が来たときになるその恵みは測り知れない。
何より、私たちは時が来ればキリストイエス様の花嫁として迎えてくださる。その花嫁のために、神様はあなたを見捨てると思いますか?ただただこの方に期待しましょう。今神様があなたを覚えておられる事を感謝し期待しよう。今何か示されているなら、それに喜んで応答しよう、神様はあなたの応答を待っている…