「万軍の主はこの山の上で万民のために、あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。その日、人は言う。『見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。』」
イザヤ書25章6‐9節
神様はいつでもあなたと共にいる。こんなところに何もないじゃないか、と思うところにも神様は共にいて、別の箇所では「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。」(詩篇23篇)と、敵・あなたの苦難の前にさえ、私たちを養い、力づけてくださる。何と感謝なことだろう。
私たちは苦難のとき、どうしてもその目の前にする巨人・目に見える苦難に目を上げてしまう。しかし、あなたの目を上げよう。神様はあなたのために、すべてを備えてくださっている。神様なんか信じたって何になるんだ?いえ、私たちはその時、天国の前味を、神様の養い、守り、いのちを、天国の一端を味わうことができるのです。しかも神様があなたに備えるのは、この世がもたらすことのできる慰めや、一時的な解決ではない、神様がくださるいのちです。神様が大切な子たるあなたにベストと思う食事、何かを備えてくださるのです。何という恵みだろう。
私たちは本来この恵みには与れない。いや、与るに値しない者だった。でも、神様は私たちがそうして神様から離れていって命を失っていくことを我慢することができず、ついにご自分の御子イエス様を私たちのところに遣わし、具体的にご自身の愛を現された。そして、私たちを取り巻くつみ、永遠の死、絶望、悲しみ…そうしたものを一切身代りに背負って十字架に架かられ、死なれた。そしてよみがえられたことによって、それらを打ち砕かれ、イエス様をあなたの罪の身代りとなってくださった救い主として信じ受け入れる人を、あなたを神様の子として迎え入れてくださるのです。
それほどまでにあなたを愛される神様は、あなたの前に永遠のいのちという食事を備えていてくださっている。また、死を打ち砕き、あなたを養う食事(物理的なものも含めあらゆる)をいつも備え、あなたの涙をぬぐい去るよう導いてくださる。あなたと共に生き。そうして、私たちは神様の子として、天国の前味を味わっていくのです…
私たちはもっと大胆に神様を待ち望み、また求めよう。もっと神様との関係を楽しもう。主はあなたを愛し、死して後も天の御国に導かれ、あなたと永遠に住まう、その契約をもうあなたと結んでいるのです。イエス様を信じるなら。あなたは主に何を今日期待しますか?