ーどうしても必要な赦しー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「そして、私たちの負い目を赦して下さい。私たちも自分に負い目のある人たちを赦しました。」 

マタイによる福音書612

 

神様と私たちを繋ぐ1つは祈り。私たちは、本来神様から勝手に離れ、ついたり離れたり、困った時の神頼みだったりだの、本当に祈る事を赦されるに値しないはずだった。

 

でもイエス様は祈っていいんだよ、と主の祈りを一つの祈りのアウトラインとして教えてくださった。本来は聞いてもらえるほどの関係ではないにもかかわらず。そこまでしてまでイエス様が教えたかったのは、やはり神様と私たちが本来あるべき正常な関係に戻ることにあるわけです。

 

主の祈りの中の後半、イエス様は「私たちにとってなくて張らなないどうしても必要なもの、私たちに定められたもの」である私たちの負い目=罪の赦しを祈る事を教えました。

 

私たちは本来神様の愛のなか生きる者であったはずでしたが、神様が与えるものに満足せず、神様の主権を奪い、また自分の思う時に思う事をしない神など神ではないと言って離れていってしまった。見た目には生きていられる。でも、私たちを造られた神様から離れては私たちは、神様が私たちに持っているその計画、またその恵みを受けられず、干からびていってしまう。くらい牢獄の中に閉じ込められてしまった。でも、イエス様はそんな私たちを見ていられない。

 

だから、私たちが本来の神様との正常な関係、真の親子関係、神様の子としての親子関係に、その栄誉ある、神様のいのちが私たちの内にあふれ、イエス様が私たちの内に住まい導かれるという最高の栄誉、あるべきあなたに戻すために、私たちの罪の身代りにその身に全部背負い、その罰を、十字架に架かり死に、また復活によってあなたの罪を清算するから、だから私のこの救いを受け入れる、あなたの負い目・罪を神様の前に悔い改めることを勧めたのです。私があなたの身代わりとして罰せられる、それでもあなたを愛するから。あなたが神様の元に帰り、神様の子として迎え入れられるなら、と。

 

まさにその思いが、この祈りの前半部の中にイエス様はこめられたのです。あなたがたにどうしても必要な罪の赦し、そして私たちの罪によって、私たちの方から離れていったことによって断絶された関係を修復させることはどうしても必要なんだ、だから、この十字架の愛の決断をされた。

 

私たちは、まあこの祈りの続きには、他の人の罪を赦せない事とか色んな問題を持っているけど、でもその前に、神様の前に持って帰ろう、私はあなたの悩みを聞くし、赦せない思いも知っているし、その状況も知っている、だからそうしたことに思い煩う前に、わたしのところに帰っておいでとその親子関係に招かれるわけです。

 

そう求めることを教えてくださったわけです。離れてしまった自分を悔い改め、あなたの愛で満たして下さい、いのちで満たして下さい、と。そしてこの真の親子関係に生きよう、本当のいのちある本来の関係に帰る事を。

 

イエス様は私たちの負い目=清算できないほどの罪一切を、悲しみ、絶望、痛み、何もかもを身代わりに背負い清算された。あなたをこの真の神様との親子関係、いのちある者へと引き戻された、そのイエス様が、あなたを今日、招かれている。全てを清算して、新しい、イエス様とともに生きるあなたになることを。その時、私たちのどうにもならない様々な問題、赦しのことも含め、主はそれを洗い清め、変えてくださる。そのための心も、知恵も、語るべき言葉も、備えてくださるでしょう。私たちは今日、このイエス様の招きの前にどう応答するでしょう?