「天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上た方、すなわちこれを堅く立てた方、これを茫漠としたものに創造せず、人の住みかにこれを形造った方、まことに、この主がこう仰せられる。『わたしが主である。ほかにはいない。』」
イザヤ書45章18節
神様神様、というけど、神様ってどんな方?
この天地万物、動植物、天体、そして私たち人間を造られた方。それは適当な形ではない、何かカオスな状態のままではなく、どこにおいても手を抜くことがなかった。私たちが生きるに必要なすべての環境さえ整えてくださった。
私たち以外の被造物に対してこれだけ神様は丁寧、懇切丁寧に、漠然とした茫漠とした状態ではなく造られた神様がどうして、私たちの人生をそのような虚しいものに作り上げるはずがあるだろう。
私たちは神様から離れて、残念ながら本来あるべき姿、神様の子としてのいのち溢れる者であったはずが、それを失ってしまった、いのちのない、死していく、枯れ果て、滅びていくしかない私たちだった。神様が造られたのに神様の祝福、命が失われていてどうして本来の私でいられるだろう?
でも神様は「わたしが主である」ゆえに、あなたを見捨てることができず、私たちの罪の身代わりとして御子イエス様にこれを背負わせ、代わりに十字架上で罰せられ、死なせ、また復活させることで、その罰を良しとし、これを信じる方を神様の子に引き戻してくださったのです。本来のあなたへ。茫漠としたあなたではない、神様があなたの生涯を責任を持ち、また堅く立ててくださるのです。その思いがまさにあの十字架に込められているのです。あなたが神様にあなた自身をお返しするなら。
私たちが本当の意味で神様にあなた自身をお返しする時、神様があなたに真のいのちをイエス様のゆえに吹き込まれ、建て上げてくださる。神様が、この天地万物を素晴らしく作り上げた方が、建て上げてくださる。何と感謝なことだろう。
あなたは今日、この神様に何を望みますか?