ー良い蔵を建ててくださったー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「良い人は、良い蔵からよいものを取り出し、悪い人は、悪い蔵から悪いものを取り出すものです」

マタイによる福音書1235

 

良い蔵からよいものを取り出す。お客さんに何か商品を提供するのに、何か問題のあるもの、欠陥品の中から物を取り出して提供することはあり得ないですよね。わざわざ悪い蔵から何かを取り出して提供する何てことは普通は考えられないですよね。

 

ただ私たちは気が付いたら、物理的ではなく、いろんな思いや行動の中においては、悪い蔵から何かを提供する事もしばしば。妬み嫉妬、感謝しない、人を愛せない…私たちが神様から離れてしまったから、罪故に、私たちは本来受けるべき愛する心を失ってしまった。だって愛は神様から出るのだから神様から離れて人を愛する事なんてできない…本来良い蔵から、愛、喜び、平安などをいただいて、そんなものを出す必要なんてなかったのに、それができない。

 

だから、神様は私たちの内に良い蔵を建ててくださった。

ならばあなたの内にいのちの泉、いのちの倉を建てよう、と私たちのところに来て、私たちの負債、罪、悪い倉の中の物、悲しみや痛み、あらゆるものを拾い集め、十字架にもっていってイエス様が十字架で身代わりにすべてを処分された。本来神様から見たら、罪人である私たちは悪い蔵。これを打ち壊さなければいけないところを、身代わりにイエス様を打ち砕かれた。そうしてイエス様が住まわれる、良い蔵を私たちの内に建てられたのです。

 

私たちは今日、どこから取り出し生きよう。

まだ残念ながら悪い蔵の中にもいろんなものが残ってる。でも今や良い蔵が私たちの内に建てられた。そこにはいのちがあふれている。いや何より主が待っておられあなたに良いものをくださるだろう。愛、喜び、希望、いのちをくださるだろう。知恵も下さるでしょう。今日あなたがいる場所に置かれている場所において、いつも神様から、良い蔵から命をいただき、かつ隣人に仕えたいものです。