ー世界中の書物にも書ききれないご愛ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。」

ヨハネによる福音書212425

 

世界中で読まれ続けている本、ベストセラーであり続けている本。それが聖書。この書が完成してから、いやこの聖書の一番最初の部分が書き上げられてから(まとめる前)1900年以上もたっているのに、未だに増刷、印刷され続けている…どうしてそんな事が起こるのだろう?それはこの聖書に書かれている内容が事実だから。じゃなければこんな嘘っぱちの本なんか、といってもう印刷をやめるでしょう。しかしキリスト教がいかに迫害されようともこの聖書が無くなることは決してなかった。

 

聖書の中にいくつかの書簡を書き残した人の中にヨハネさんという人がいました。上の言葉も彼が書き残したうちの一つです。彼は神様の御子イエス様に、公に活動された約3年半の間ついて回り、イエス様の行動や言動を全部その横で見ていました。そしてイエス様が天に昇られた後も使徒として伝道していました。

 

しかし彼の生涯は12弟子だったしすごい好待遇で、苦労もなかったんだろうな?と思ったらとんでもない。彼は迫害され続け、時には煮えたぎる窯に入れられることもあったり、毒蛇の毒を飲まされたこともあった。このヨハネによる福音書なるものを書いている最中も小さな島に軟禁、幽閉されていた。

 

そんな老人になり、人から見たらなんと苦難の人生、と思うような中にあって、ヨハネはそんな体験をしようがやっぱりイエス様のおっしゃっていたことは正しかった、と聖書を記していったのです。何一つ恨み言の一つ書くことなく、むしろイエス様に従い通して歩んできた生涯は、確かに真実であり、恵みに満ち溢れていた、それはこの世のどんな書物にも書ききれないほど最高の物であった、と。私のような箸にも棒にもかからないような私にさえ御子イエス様は訪れ、愛してくださった、こんな罪人の、私の罪さえ身代わりに背負い十字架に架かってまで私に永遠のいのちを与えられた、罪を赦して下さり、あまつさえ神の子としてくださった。

 

でも神様の恵みはそこでは終わらなかった。一時的に神様は助けて終わったのではなく、前述のような迫害や死ぬ目にあおうとどんな苦難の日があっても、確かにイエス様がわたしのうちに生きて働かれた、導いてくださった、共にいてくださった、その道を示して下さった、世界の本に書ききれないという事はある特別な日だけではなくいつもいつも、神様は彼を導いてくださっていなければそんな量にはならないでしょう。神様から贖われた私の生涯が、どんな中にあっても素晴らしかった、そんな彼の思いが今日のことばには溢れている…

 

聖書にしるされている内容はある特定の人のために起こったことではなく、あなたにも向けられた神様の約束のことばです。ヨハネはこの直前にペテロという人がヨハネのこれからはどうなりますか?と聞いたときに、イエス様が答えた言葉を記しています。「わたしが来るまで彼が生きながらえるのを私が望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか?あなたはわたしに従いなさい」

 

他の人はどうか、ではなく、神様はあなたとも、ヨハネがそう記したように豊かないのちあふれる関係を持ちたいと願われ、あなたのためにイエス様はあなたの罪を全部背負い、悲しみも背負い十字架に架かられたのです。そしてあなたが永遠のいのちを持つことを願い、死にまで従われたのです。そしてイエス様を呪ってまで否定した弟子のところに現れたように、あなたの前にも、復活の主が来てくださるのです。

 

わたしはあなたを愛するがゆえにあなたのために十字架に架かったよ。あなたはわたしのいのちを、新しいいのちを受け取りますか?とあなたに今日も問われているのです。イエス様のいのちにかけて取り戻されたあなたの新しいいのちは、神様のもの。神様があなたの内に住まわれ、世界の書物に入りきらないほどにあなたの内に働こう、愛を現そう、栄光を現そう、と招かれるのです。

 

神様は聖書の中に書かれた昔の話ではない、あなたの内にも同じように、神様ご自身が生きる者へと招かれる。イエス様はあなたと共に紡いでいく物語に期待し、信頼し、従っていくかを、行くことをイエス様は望んでおられるのです。そんなの嘘っぱちと言ってこの関係を破り捨てますか?イエス様を聖書に閉じ込めたままにしますか?それともあなたはこの方の愛を受け入れますか?従いついていきますか?