映画「すばらしき世界」と佐木隆三の「身分帳」 |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

私は勝手に自分の中の<ブーム>に則って

映画や本をみているので、時代遅れも甚だしいですチーン

 

すごく昔の映画や小説を

楽しんで味わっている。

 

だから現代の事象からは離れたところでの鑑賞

になることがほとんどなんだけど

稀に、考えていることと現実とが

近いところに合わさってくることがあります。

 

映画「すばらしき世界」を観ました。

 

 

2021年公開の日本映画。

 

で、まずこの映画を観て最初に思ったのは

(いい映画だし、ストーリーも素晴らしいんだけど

なんとなぁく、

原作と映画にズレがあるんじゃないか?

で、そこに私がこの映画にイマイチ入り込めないナニカがあるんじゃないか?)

って、ことだったんです。

 

そこで、原作者を調べてみたら

佐木隆三びっくりマーク

やっぱり!!

すごい本を原作に持ってきよったぁ〜〜ポーンポーン

と興奮するとともに、

(ん?原作じゃなくて原案??)

という疑問も持ったのでした。

 

早速読みましたよ。

佐木隆三「身分帳」

 

 

 

 

 

単行本は、すっごく高くなっているから

文庫本も貼っておくね。

 

佐木隆三といえば

「復讐するは我にあり」

が有名です。

 

こちらは映画もスンバラシイので

本と映画の両方を貼っておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

佐木隆三は、犯罪を犯した人を

特別に我々と違う人だと思うのではなくて

自分と同じ、隣に住む隣人だ

というように考えている作家で

ず〜〜〜〜っと

刑事事件の裁判を傍聴し続けてきた人です。

 

そういう中で

裁判記録や証言と照らし合わせながら

1人の人物を照らし出していく

という作品の作り方をしています。

 

この「身分帳」も

そうやって生まれた作品です。

 

ある男から連絡が来た。

「自分は長い刑務所暮らしで

家族も友人もいない。

自分が事件を起こした犯罪を記録した身分帳というのがあるから

それだけでも読んでくれ」

というようなことから

この作品が生まれました。

 

「すばらしき世界」はこの作品を現代にアレンジして

(スマホなんかも使っちゃって)監督自らが脚本を書いた作品です。

 

佐木隆三は、

作者の主観などほとんど入れずに

この「身分帳」に記載されたことと

本人と会った時のことなどから

ひとりの人間を浮かび上がらせて作品にしています。

 

一方の西川美和監督は

この「身分帳」をもとに映画を撮ろうと決めて

まだ脚本ができていないうちに

役所広司にオファーをしたそうです。

 

だからこの映画は

<役所広司ありき>の作品。

 

そして実際に役所広司の演技は大絶賛されています。

 

実際に、とてもいい映画です。

役所広司の演技も素晴らしい。

でも映画の感想としては、たぶん

<役所広司がいい>という人と

<役所広司でなくてもいい>という人に

分かれると思います。

(私は後者ですすみません滝汗

 

ここで冒頭に書いた

稀に、考えていることと現実とが

近いところに合わさってくることがある。

 

という問題です。

 

「セクシー田中さん」

という漫画がテレビドラマ化されて

その内容が原作と脚本の間で大きく食い違い

そこに端を発して

原作者である漫画家が自殺をしてしまった。

 

それが今日のことです。

 

連日の急展開に、ただただ驚き

ご冥福を祈るばかりです。

 

で、<合わさってくる>というのは、

ここ数日、この

原作と脚本の折り合い

についてずっと考えてきたから

なんですよ。

 

あ、「すばらしき世界」は

そのことで揉めた訳ではないと思います。

テロップの製作委員会のところに佐木隆三の名前がありましたしね。

 

でも、「身分帳」の持つ

独特のキャラクターや

物を見る視点や

彼を取り巻く人間模様など

しっかりと踏襲しつつも

やはりどこか<浮いた感じ>の作品になってしまっています。

 

「復讐するは我にあり」

の今村昌平監督は

原作に忠実だったわけではないけれど

あのおどろおどろしくも生の人間性みたいなものを

映画の中で表現しきっていた。

 

これは原作も映画も

どちらも引けを取らない凄い作品なんです。

 

 

私の勝手な主観ではあるけれど

西川監督は

「佐木隆三の作品を映画化したい」

よりも

「役所広司の作品を撮りたい」

の方が優先してしまったのではないか?

 

「役所広司の魅力をもっとも表現できる

そういう脚本にしなければ!」

と思ったのではないか?

 

という気がしたのです。

そうしてそれは、大成功をおさめています。

 

でもね、この映画、

役所広司もいいかもしれないけれど

脇を固める俳優さんたちが

とってもいいんですよ。

 

 

↑この梶芽衣子さん。

若い頃は「女囚サソリ」など、

ミステリアスでセクシーな役が多かったヒトが

この映画ではほっこりとあたたかい、

そしてダサいおばさん役を好演しています。

 

他にも

橋爪功、白龍、キムラ緑子、六角精児、北村有起哉

といった名優たちが脇を固めています。

 

 

逆に

(この映画にはいらん!)

と思ったのが仲野太賀と長澤まさみ。

どっちも役者としてとてもいいんですよ、

でもこの映画には必要ない気がする笑い泣き

 

太賀くん、私はファンなんですけど

さすがにいろんな作品に出すぎです。

もう少し、自分で選別してほしい。。。

 

やっぱり映画もテレビドラマも

売れなくては話になりません。

そのためには人気のある、そして実力のある役者さんを

起用するのは当然だし

それは何も悪いことではありません。

 

それは分かっているんですよ。

でも役所広司、仲野太賀、長澤まさみ。

私が映画を見ていて<浮いた感じ>に思えるのは

本当に原作を読んでのキャスティングだったのかどうか?

というところのような気がするんですよね。

 

舞台を現代に持ってくるためには

必要なキャスティングだったのかなぁ。。。

むずかしいよなぁ。。。

売れなきゃ、だもんなぁ。。。

しかも、三人とも実力のある役者さんだしなぁ。。。

むしろ彼らが出るからいい!という人の方が多いだろうしなぁ。。。

キャスティングディレクターの人は、

この三人の起用には悩んだだろうなぁ。。。

でも私はむしろ、

太賀君のおとうちゃんの中野英雄に主演をやって

もらいたかったなぁ。。。

 

「身分帳」の実在の人は、痩せ気味で小柄

横山やすしのような風貌だったみたいですけど

中野英雄がやったら、もっとずっしりとした重厚な作品になったのでは?

って、これはシロウトが勝手に思っているだけなんですけどね。

このあたりは作品の評価ではなくて、私の希望とか、そんなものです爆  笑

 

原作者と脚本家の問題は

これからもいろいろと起こってくることでしょう。

最初の契約の通りに行われているかどうか?

ということに尽きるのかもしれませんね。

はぁ、朝からずっしりとした話題でした。

 

長いブログになっちゃったけど

どうしても引用しておきたい部分が。

 

この主人公の男は

なんにでも真剣に対応しようとして自爆してしまう。

大声をあげたり手を出したりしてしまう。

本人は正義感のつもりなのに…

という性格なんです。

 

犯罪を犯さなくても

こういう真っ直ぐな人は

現実社会にいて、

本当に大変な生き方をしているなぁと思うんです。

 

いいか、悪いかじゃなくて

本当に、大変だと・・・。

 

でね。

本の中にこんな会話があるんです。

↓主人公とケースワーカーとの会話。

(「身分長」より)

 

「何もかも大変ですよ。

いちいち腹の立つことばかりで、

これじゃ自爆の時間の問題やないか、と」

 

「自爆ですか・・・・」

「それは山川さんが、

自分を取り巻くあらゆるものに接点を保とうとするからじゃないですか?」

 

「いや、社会や他人と接点を持つために、苦労しちょるんです」

 

「僕は違うと思う。むしろ山川さんが、

何事に対しても真剣であろうとするから、

いつも怒っていなければならない」

 

「真剣で悪いんですか?」

 

「たぶん、僕自身は要領よく生きているんでしょうね。

社会や他人との関係で、自分に必要なもの以外は切り捨てているんです。

それをしないで、すべての事柄に接点を持って対応していたら、

本当に大変だと思います」

 

 

 

 

原作のラストシーンは

「へ?」

っていうくらい唐突に終わります。

 

映画の方は

「え?」

っていうような終わり方です。

 

2つのラストシーンはまったく違いますが

これはまったく違っていいと思います。

それぞれも良さが出ています。

 

いろいろと書いたけれど

いい映画なのよ。

それは伝えておきますね。