「白鶴亮翅」という本の話 |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

太極拳のお仲間さんから

一冊の本を紹介されました。

 

その時にね、

「<はっかくりょうし>という本を知っていますか?

太極拳の型がタイトルになっているんですけど」

と、聞かれたのですが、

なんのことか、わからなかったのです。

 

この本は、

「白鶴亮翅」

という字を書きます。

<はっかくりょうし>とルビがふられていますが、

太極拳の型としては

中国語の発音にちなんで

<パイポリャンチ>

と言っているので、

日本語の読み方では、わからなかったんですね。

 

 

 

 

はい、↑この本です。

 

多和田葉子という方が書かれています。

芥川賞、泉鏡花賞、谷崎潤一郎賞、伊藤整賞…

名だたる文豪の名を冠する賞を軒並み受賞している

すんごいお方のようですが、

私は今回初めて知りました。

 

ドイツ在住で

ドイツ語と日本語とで

作品を書いているのだとのことです。

 

で、この「白鶴亮翅」という作品は

ドイツ、ベルリンで一人暮らしをする主人公が

さまざまな文化的背景の人々と出会う中で

日本やドイツの歴史を紐解きながら

文化や歴史について考察していくようなお話です。

 

ある日、隣に住んでいるMさんから

太極拳学校に行こうとすすめられて

通いはじめた、ということから

このタイトルがついたようですが

太極拳はこの作品の主軸ではありません。

 

作品のあちらこちらで

太極拳学校に行き

チャン先生に習った様子というのが出てくるだけでなんです。

 

タイトルにもなった「白鶴亮翅」というのは

鶴が羽を広げる

という意味の型です。

 

 

この型について

↓チャン先生は次のように教えています。

 

「太極拳はチャイコフスキーの白鳥の湖ではありません。

翼を優雅に広げればいいというものではないのです。

右腕をすっと簡単に持ちあげてしまうのではなくて、

お腹から力を汲んで、

ぐっと肩から背中にのしかかってくる相手を跳ね返すように持ち上げてください。

左手も同じです。

身体の前面を敵の攻撃から守り、相手を下に抑え込んでください」

 

これに対して

主人公が感じたのは次のようなことです。

 

わたしは先生の言うことを意識しながら

体を動かした途端、

左手と右肩に、

実際には存在しない敵の抵抗する力を感じてはっとした。

 

やはりすごい感性の持ち主であります。

シロウトが学んでいるという設定にも関わらず、

こんなふうに鋭いおけいこの描写が

随所に顔を出しています。

 

わたしは電話を切ると、

立ち上がって太極拳で習った白鶴亮翅の型を

鏡の前で何度かやってみることにした。

胸の中の空間がグッと広がるようで快かった。

 

こういう身体の感じ方は素晴らしいなぁ

と思って読んでいたのだけれど、

 

これについてチャン先生は

「ひとつの型だけをやらずに第一式から通して練習してください」

とアドバイスをしています。

 

そして次のおけいこの時には

この白鶴亮翔という型について

↓このようなこともアドバイスしています。

 

「鶴が羽を広げるというと優雅に聞こえますが、

元々太極拳は戦う技であることを忘れないでください。

後ろから襲ってくる敵をはね返す動きで、

最大限の力を出すためには腕だけの力に頼ってはだめです。

お腹から力を誘導してください。

お腹から力が伝わってくるのを感じるまでは

腕を一ミリも動かしてはいけません」

 

あぁ、この本は再び読み直してみると

実に的確な太極拳の指導方法と

そのおけいこをした時の

主人公の体感覚とが

とても瑞々しく書かれていることに

改めて感動させられます。

 

太極拳の手の動きは自分の身体の前面を守ることを忘れない。

ボクシングのように具体的に顔などを殴られないように

拳骨で守っているようには見えないが、

太極拳は胸の前の空間を守り、

ここまでがわたしの領域だからここから中には入らないでくださいね、

と境界線を示しているように見える。

 

↑これも主人公の言葉です。

主人公の言葉と

チャン先生の言葉とが

交互に飛び交いながら

音楽を奏でているように

太極拳について語られていくのです。

 

本の感想というより

本からの引用が多すぎる、

そういうブログになってしまいました。

 

「太極拳は音楽であり、武術でもありますが、

それだけではありません。

楽器がなくても敵がいなくても、

この姿勢は頭痛や胃炎に効くし、

不安を解消するとも言われます。

つまり単に自分の健康のために

体を動かしていると考えてもいいのです」

 

そう言って笑うチャン先生の肩は

どの方向にもほんの少しもつっぱることなく、

地球の引力に自らの重さを任せて、

あるべき場所に収まっていた。