小学生の頃、
偉人といわれるヒトたちの伝記を読むのが好きだった。
学校の図書館の「歴史」というコーナーに
ズラリとたくさんの偉人たちの本があったので、
片っ端から読んでいった。
その中の一冊、キュリー夫人の本のこと。
いや、内容はほとんどおぼえていないのだけれど、
彼女が小学生の時、授業中にいきなり、
「今日からポーランド語は使ってはいけません。
ロシア語を使いましょう」
と言われたと書かれていた。
ポーランド人でありながら、ロシア語を話さなければならない。
そのことのツラさや屈辱感というものが、
この伝記には書いてあったように記憶している。
その人がその人である、AはAである、
ということそのものを奪うというのは、
存在そのものの尊厳を奪うということだ。
私はそういう問題にふれるたびに、
この「キュリー夫人の伝記」のことをいつも思い出してしまう。
昨日、Facebookでちょろっと書いてしまったことがある。
それはAmazonのCMについて。
私はアレをみるたびに、
喉のところにグッと違和感を感じるのだ。
(画像の添付はやめておきますね)
人間の赤ちゃんに犬が近づいていく。
赤ちゃんが泣く。
その後、赤ちゃんはライオンのぬいぐるみで遊ぶ。
それをみていたパパは、
ライオンのズラを注文し(←ここが宣伝ね)
パパはライオンのズラを犬にかぶせる。
赤ちゃんと犬が仲良くなって、よかったね。
というもの。
違和感は大小さまざま。
が、ここに書きたい最大の違和感はパパ。
なんで<犬>を<ライオン>にするの?
犬は犬のままで、赤ちゃんと仲良くなりたいんじゃないの?
このCMを見るたびに、オーバーラップします。
ポーランド人なのに、
ロシア語を話すように言われたキュリー夫人(当時はキュリーでも夫人でもないが)と、
犬なのに、ライオンに変装させられた犬とが
私の脳内で、毎回重なってしまいますですよ
お祭りや吉凶時に仮装や変身をするのは、
楽しくて私も大好であります。
ハッピを着るとか、ウエディングドレスとか、
七五三や還暦など、いろんな<仮装>が日本にはありますよね?
でも、それとこれとは別なんです。
<その人じゃない何か>にさせられる、
あるいは他者からその状態を強要される
ということは、あってはならないことなのですよね。
そのあってはならないことにつながっていくような
そんな違和感を、あのCMには感じたのであります。
このCM、非常に違和感を感じています。
子どもがちょっと泣いたくらいで、犬をライオンに変装させるって…。
そんなことしてまで子どもに媚びる必要があるのかな?
犬のプライドってことを、飼い主は考えないのかな?
ほっとけば子どもと犬って、なかよくなるんじゃないのかな?
そんなことを考えます。
実は続編があるっていうのを見て、
そうだろうなぁ、そりゃそうだよ、と思ったらば、
犬にかぶせてたライオンのズラをはずして、
パパがかぶってみたという…
なんじゃそりゃ?という続編でした。
↑これはFacebookに書いたコメント。
ここでは、「子どもにこびる」ってとこに
違和感の重点を置いてますが、
でも私が感じているのは、
個々の尊厳の尊重
ポーランド人はポーランド人、犬は犬
それを他人が奪うな
ってところなので、
もう一度Blogに書いておこうと思ったわけであります