(物語)
翌日、皇帝が到着しました。
ロストフ家の召使い達も何人か皇帝を見に行く事が許されました。
その頃ペーチャは、長い時間を掛けて服装を整え、髪も綺麗にとかして、襟の形も大人のように作っていました。
やがて誰にも言わずに帽子を被ると、見つからないように気を付けながら、そっと裏玄関から出ました。
ペーチャは、真っ直ぐに皇帝の居る所へ行き、侍従の1人を捕まえて、自分はロストフ伯爵である事、年齢は若いが、祖国に尽くしたいと望んでいる事、若い事は忠誠を尽くす妨げになり得ないし、自分は進んで。。と言うような事を言上しようと決意していました。
ペーチャが、皇帝に拝謁が叶うだろう。。と考えていたのは、自分が子供だからだ、という理由からでしたが、しかしそれと同時に彼は努めて自分を大人に見せようとしました。
しかし、次第にクレムリンが近くなり、後から後から押し寄せる人波に目を奪われ、彼はもう突き飛ばされないようにと、そればかりに気を取られていました。
ところが、トロツキイ門の所で、彼の精一杯の頑張りにも拘らず、人々が、どうやら彼がどのような愛国的目的を持ってクレムリンに赴こうとしているのか知らないらしく、激しく彼を壁に押し付けたので、彼はやむなくその人波の力に屈服し、立ち止まって何台かの馬車が通り過ぎるのを待たなければなりませんでした。
ペーチャは、顔に吹き出した汗を手で拭い取り、家でせっかく大人のような形に作ってきた襟が汗に濡れて崩れたのを直しました。
ペーチャは、自分の格好があまり立派と言えないのを感じて、こんな姿で侍従達の前に出たら、皇帝の側へ通してもらえないのではないか。。と心配になりました。
馬車で通りかかった将軍の1人が、ロストフ家の知り合いでした。
ペーチャはその将軍に助けを求めようとしましたが、すぐにそれは男らしさに背く事だと思いました。
馬車が全部通り過ぎると、群衆はどっと流れ出し、ペーチャも広場に押し出されました。
広場へ出た途端に、クレムリン中を満たした鐘の響きと嬉しそうな群衆のざわめきが、強くペーチャの耳を打ちました。
しばらくの間、広場の中は少しゆったりとなりましたが、ふいに群衆が一斉に帽子を脱ぐと、どっと前方へ雪崩を打って進みだしました。
群衆は口々に叫び立てました、「ウラー❗️ウラー❗️」、ペーチャは背伸びをして前の者に掴まったり、押したりしてみましたが、周りの群衆の他は何も見えませんでした。
どの顔にも一様に感動と歓喜の表情がありました。
ペーチャの側に立っていた商家のおかみが、おいおいと声を上げて泣き出しました。
「ウラー❗️」という叫び声がまわり中から上がりました。
ペーチャは、もう無我夢中で歯を食いしばり、獣のように目をギラギラさせながら、今なら、自分をも誰をも殺しかねないような勢いで、両肘で突きまくり、「ウラー❗️」と声を限りに叫びながら押しまくりました。
『そうか。。皇帝とはこういうものなのだな❗️』と、ペーチャは思いました。
『ダメだ、自分で陛下にお願いするなんて、とても出来ない。あんまり向こう見ずすぎる❗️』そうは思いながら、彼はやはり必死に突き進んでいました。
ところが、その時群衆が後ろへ揺れだしました(前方で警官達が寄せ過ぎた群衆を押し返したのでした。皇帝は宮殿からウスペンスキイ寺院へ行くところでした。)、そしてペーチャはふいに横から肋骨に猛烈な打撃を受け、気を失ってしまいました。
気が付くと、後頭部に一房の白髪を残した、擦り切れた青い法衣をまとった輔祭(※主教・司祭の許(もと)で、主教・司祭を奉神礼において補佐する)らしい老僧が、左手で彼を抱きとめ、右手で押してくる人波から庇っていました。
「子供が圧しつぶされたぞ❗️なんという事だ❗️押しちゃいかん。。圧しつぶされたのですぞ❗️」と、輔祭は言いました。
皇帝はウスペンスキイ寺院に入りました。
群衆は押し合いを止めて、広がりだしたので、輔祭は蒼白な顔をした、虫の息のペーチャを『大砲の王様』(※クレムリンにある1586年鋳造の有名な大砲)の方へ連れて行きました。
何人かの人々がペーチャに同情を示しました、すると人々が集まって来て、たちまち周りに人垣が出来ました。
側に居た者達が世話を焼いて、フロックコートの胸をはだけてやったり、大砲の台座に座らせたりして、彼を圧し潰した人々を非難しました。
ペーチャは間も無く意識が回復し、赤みが顔に戻り、痛さが去りました、そしてこの一時の不快な出来事のおかげで、彼は大砲の上の場所にありつきました。
彼は、ここからなら皇帝が戻る所を見られるはずだ、と思いました。
ペーチャはもう、請願しようなどとは思いませんでした、皇帝の姿を見られさえしたらーーそれだけでもう「自分はどれほど幸福だろう。。と彼は思いました。
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(解説)
はい。
この部分は、ちょっとトルストイの「強い主張」を感じましたね。
ロストフ家の末息子の15歳のペーチャなのですが、この少年はボロジノの戦いに、親の猛反対を振り切って出征するんですね。まだそこまでは読んでいませんけれど、今、彼が「お国の為に戦争に行かせて欲しい。」と、両親に必死に説得している所ですね。。
この子の出征については、愛国心の塊のような両親も流石に許すことが出来ないようですね。
この子は、ボロジノの戦いで、犬死してしまうんですよね。
この戦いでは、ペーチャのような多くの少年達が志願して戦争に参加し、何の名誉も与えられる事なく亡くなったと思います。
戦争に参加したい愛国心の厚いペーチャは、モスクワに来た皇帝を一目見よう、そして自分を軍隊に入れてくれるように皇帝に直訴しよう、となるべく大人びた格好をして一人で一生懸命歩いてクレムリンまで出掛けるのですけれど、そこには同じく愛国心旺盛なモスクワ市民が大勢駆けつけていて、ペーチャのような小さな少年はもみくちゃにされてついには気絶するんです。
そこへ擦り切れた法衣をまとった老僧がが、彼を抱きかかえ「子供が圧し潰されたぞ❗️何とした事だ❗️押しちゃいかん。。圧し潰されたのですぞ❗️」と叫ぶのですね。(➡︎おそらく、トルストイは、この老僧を『神の化身』もしくは『トルストイ自身』として描いたと思います。もちろん『圧し潰された』は、ペーチャの運命=戦死を意味します。)
それを聞いた群衆が心配してペーチャに駆け寄り、彼は『大砲の王様』(有名な大砲)の上に乗せられて特等席で皇帝を拝する事が出来た・・という下りですね。
この部分はとてもトルストイの『反戦思想』を感じましたね。
群衆の愛国心は本当は間違ったものでは無いはずです。
しかし、戦争というものにより愛国心が行き過ぎると、こんないたいけな少年の命が犠牲にされるのだ、そして、この少年たちは、何ら名誉を与えられる事なく犬死してしまったのだ、その事実を忘れてはいけない、というトルストイの無念さが感じられます。
そしてペーチャが大砲の上に掲げられた、という事実は、この(ペーチャに代表される)子供達の、命をも捧げると言う純粋な愛国心こそ尊く、誰よりもはっきりと皇帝を拝す事が出来てしかるべきでは無いか。。と言う気持ちが見えますね。
(でも、トルストイはそんな愛国心で命を落とす事は是認はしていないはずです。)
実際、野原の上で死体を晒したまま、何ら華々しい国葬をされた訳では無いんでしょうからね、こう言う少年たちは。
また、ペーチャもニコライと全く同じ真っ直ぐな素直な性格ですね。
それに、『皇帝の為に=ロシア帝国の為に』という愛国心がとても強いのも同じですね。
ロストフ家は、経済とか教育に関してはやや❓という部分は有っても、人間としての温かい血が通っている一族なのですね。
人の良い温かくて優しいお金持ちという、当時のロシア貴族の典型的な1つのモデルとして描かれているのがわかります。
トルストイはこの一族にロシアの大地に抱かれた大らかさと真の優しさや強さを表現しているように思いますね。
多少間抜けな点はあるにしてもですね。












