気ままな日常を綴っています。 -21ページ目

気ままな日常を綴っています。

いつか静かに消える時まで。。
一人静かに思いのままに生きたい。。

(物語)

意見が分かれて、この案に対する賛否両論がぶつかり合いました。

エルモーロフ 、ドーフトゥロフ、ラエフスキイはベニグセンの意見に賛成を唱えました。

シュト放棄に対して犠牲を捧げるべきだという感情に動かされたのか、あるいは他の個人的な考慮からか、ともあれこれらの将軍達は、この会議の事態の必然的な推移を変えられるものではなく、モスクワは既に放棄されたのだという事がわかっていないらしいのでした。

他の将軍達はそれがわかっていました、だからモスクワ問題は脇に置いて、これから後退に当たって軍が取らねばならない方向について語り合っていました。

 

目を離さずに、下で行われていた事を凝視していたマラーシャ(百姓家の持ち主の孫娘)は、この会議の意味を別な目で取っていました。

彼女には、これは『おじいさん』(=クトゥーゾフ)と『長しっぽ』(彼女はベニグセン にこんな名前を付けていました)のただの喧嘩だ、という風に思われたのでした。

2人が話し合う時恐ろしい顔をするのを、彼女は見ていました、そして心の中でおじいさんの味方をしていました。

クトゥーゾフ は、フランス軍の右翼を突く為に夜半に右翼から左翼へ移動をさせると言うベニグセンの提案の利と不利について、穏やかな静かな声で急所を突いたのでした。

 

「わしは、諸君」と、クトゥーゾフ は言いました。

「伯爵の案には同意出来ませんな。敵との近い距離における軍の移動は常に危険であり、戦史がそれを証明しておりますからな。例えば。。あのフリードラントの会戦、あれなら伯爵もよく覚えておいででしょうが、あれが余り芳しくなかったのは、要するに、敵からあまりにも近い距離で我が軍が隊形の変換を行ったからですな。。」

その後に、一同にはひどく長いものに思われた1分もの沈黙が続きました。

 

討論が再開されましたが、途切れる事が多くなり、もう語ることが無くなった事が感じられました。

こうして、何度目かに話が途切れた時に、クトゥーゾフ は発言しようと、重い溜息をつきました、一同は彼の顔を見ました。

「では、諸君。要するに、壊れた瓶の代償はわしが払わにゃならん訳だ。」と、彼は言いました。

「諸君、わしは諸君の意見を聞いた。中にはわしに不賛成のお方も居ろう。。だがわしはーー皇帝陛下と祖国から委ねられた権限によって、わしはーー後退を命ずる。

その言葉を聞いて将軍達は、葬式の席から去る時のような、厳粛な面持ちで、黙しがちに動作に気を配りながらm散り始めました。

 

将軍達を帰すと、クトゥーゾフ は長いこと座ったまま、テーブルにもたれて、じっと1つの恐ろしい問題を考え続けていました。

『いつ、結局、いつなのだ。モスクワ放棄が決されたのは❓この問題を決定した事態は、いつ起こったのだ、そしてそれは誰の罪なのだ❓』

「こんなことに。。こんなことになろうとは思わなかった。。」と、夜もかなり更けてから、入ってきた副官のシュナイデルに彼は言いました。

「もうお休みになられなければ、閣下。」と、シュナイデルは言いました。

「このままでおくものか❗️今に奴らにも馬の肉を食らわせてやるぞ❗️」と、テーブルを叩きながらクトゥーゾフ は叫びました。

「今に見とれ、ただ願わくは。。」

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(解説)

ここでは、軍事会議で、ベニグセン伯爵が『愛国心』を前面に押し出してモスクワ防衛を訴えますが、もう、それはどう考えても不可能で、モスクワを放棄してモスクワの後ろに軍を後退させる。。と言う苦渋の決断をクトゥーゾフ がした、と言う場面ですね。

 

ボロジノの会戦では、トルストイの中で『愛国心』と言うものが一つのテーマになっているように思います。

『愛国心』があれば何をしても良いのか❓、何を犠牲にしても良いのか❓、敵を負傷させ殺しても良いのか❓

『愛国心』と言うのは、そんな風に使うもんじゃ無いよ、と言うトルストイの静かな反発が随所に見られます。

 

ピエールがモスクワの広場で、公衆の面前で鞭打ちの刑に処されるフランス人を国民が眺めているシーンに疑問に思ったのも『愛国心』ってそうなのか❓と、ピエールに疑問も持たせていますし、また、ピエールは弾薬庫を持って行こうとその箱を目にした時、『はて❓それで良いのか❓』と立ち止まらせています。

戦争という殺し合いに於いて、『愛国心』で鼓舞される事の危険性、特に軍の上層部(ここではベニグセンとラストプチンがそういう立場として描かれていますね、フランス人の鞭打ち刑についてもラストプチンの御触れが原因ですし)がそれを振りかざすという危険性に警鐘を鳴らしていると思われます。

 

お早うございます♪  今朝は、令和8年3月26日の日記です♪

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こんばんはー♪ 現在17時26分です♪

室温17.6度。湿度50%です。

今、ちょっと来週はどんな風に動こうか。。と計画を立ていた所です。

3月31日(火曜日)は午後から担当者会議で介護施設、その後続けて泌尿器科に母親を介護タクシーに乗っけて受診に行くので、この日に実家の庭に除草剤くらいは撒きたいな。。。と思ったのですが、どうやらお天気が良く無いみたいです。。

そうしたら、29日の日曜日にするか。。と思っても、雨の前にするのもねー。。とかね。。ウダウダ考えていました。

ま。大した事はしてませんけれどね(^。^)

 

昨日はショートブーツを履いてうろうろ歩き回ったので、まあまあ眠れていたと思います。

やっぱり少し暖かくなってくると眠りは浅いですね。。

はい。今朝は、4時44分でした。

 

ブログ関係のお仕事や身支度、続いて英字新聞をやっつけていました。

明るくなってからお花に水やりをしました。

もうガラス瓶に生けていたお花が萎れたので、新たにカットしました✨

まだ株分かれがそこまで進んでいないので、花枝からカットしているのですが、1個謝って株からカットしました。

まだ蕾のビオラがついているのですけれどね。。。勿体無いので、それも挿しました。

ちょっと緑が見えて良いかな。。と思いました✨✨

 

 

今日は、本当に良いお天気で、お部屋の中も明るくて、ちょっと穏やかな気分になりました。

午前中に朝風呂を予定していたので、湯船にお湯を張って、ゆっくり浸かりました。

でもね、寒い時期と異なって30分で終了しました。

髪の毛を乾かしながら本業をネットで確認すると、あっという間に下がってましたわ💦

ま〜。根本が解決してる訳ではありませんので、仕方ないですね💦

 

お昼はいつ作ったか忘れちまったハンバーグです💞

ネットで給食のパンでノロウイルスとかあったので、よ〜〜〜〜くオーブントースターで焼き直しました。

生野菜も綺麗なお水でよく洗ってね♪

大根の煮物もレンチンをしっかりして頂きました。

たまに、こうしてスイッチを入れて貰うと良いですわな(^。^)(^。^)

 

午後からは、珍しくデイトレが出来るポジションに来たのが有ったので100株だけ仕事をしました。

今日は、絶対にカフェには行かないつもりでしたが、なんか行きたくなって、30分で買い戻してしまいました。

それでも数千円利益が出たので良かったです。ちなみに後1時間粘ったら、さらに3千円ゲットだったんですけれどね。

まあ、良いでしょう。。

かなり久しぶりに仕事をしたので、今日はヴェローチェにしました。公園の桜の咲き具合もチェックしたかったしね(^。^)

 

13時10分に自宅脱出❣️

けやき通りに1本だけあるソメイヨシノです。

日当たりが良いせいか、もう4割くらい咲いています。

 

これは桜の小道のソメイヨシノ。

桜の小道は、水路を挟んだ道路から眺めています。

今度の土曜日の朝に通り抜けようかな。。と思っています。

 

オオイヌノフグリのでっかいのが咲いています💞

違います。ネモフィラというお花ですね。。

ネットで違いを調べました。

オオイヌノフグリは花が小さく花びらが4枚で葉が丸い一方、ネモフィラは花が大きく花びらが5枚で葉に切れ込みがあります。』⬅︎だそうです♪

 

お堀の方へ行くと、コサギちゃんが優雅に歩いていました。

とっても可愛いです💞

今年はあんまり野鳥を見れなかったのでね、工事中の影響だと思います。

ちょっとこういうヤツを見かけると嬉しくなります✨

 

信号の角辺りのお堀の側にソメイヨシノでは無い早咲きの桜の木が1本あります。

これは一番早く咲く桜ですね。。河津桜を除いては。

今、まさに見頃で、多くの観光客の方がこのお花をバックにお写真を撮影していました✨

 

おそらく13時30分から15時30分までヴェローチェで英語の通読をしていました。

帰りは舞鶴公園の中を通ってゆっくり散歩しながら帰宅しました。

出店がいっぱい出ていて、観光客も大勢居ました。

公園は朝の散歩が静かで良さそうです💦

 

枝垂桜は、早咲きの2本だけがよく咲いていました。

白っぽいお花のが早く咲くみたいです。

 

ピンク色のお花のは、まだスタンバイ中。。。

 

16時頃、自宅に帰宅しました。

帰宅後はちょっと家事をして、キャベツと豚肉で簡単お好み焼きを作りました。

卵も入れていないので、まとまりが悪く、楕円形です💦

時計が光っていませんが16時39分ですね。

 

今日はこんな感じです。

まー。いつもの平和な1日でした♪

 

それでは、今日も良い一日をお過ごし下さいね💞

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(余談)

The gold medal victory of Japanese figure skating pair Riku Miura and Ryuichi Kihara at the Milan-Cortina Olympics marked a significant milestone in the country's pairs skating history.

ミラノ・コルティナオリンピックでフィギュアスケートペアの三浦璃来選手と木原龍一選手が獲得した金メダルは、日本のペア競技の大きな金字塔となりました。

  significant:重要な、意義深い、著しい(形容詞)

  milestone:石の)マイル標、里程標、(歴史・人生の)画期的な事件

  mark a significant milestone:大きな節目となる、大きな金字塔を打ち立てる

  pairs skating:フィギュア・ペア競技

 

On Monday, Miura, 24, and Kihara, 33, won Japan's first Olympic medal of any color in pairs skating since the country first took part in the event at the 1972 Sapporo Olympics.

 They came back from fifth place in the short program the previous day.

本日、三浦選手(24歳)と木原選手(33歳)は、ペアスケートが1972年札幌五輪に初参加以来日本初のオリンピックメダル(金銀銅いずれか)を獲得しました。彼らは前日のショートプログラムで5位から逆転しました。

  come back from〜:〜から戻ってくる、〜から帰ってくる

  前日:the previous day、the day before

 

In Japan, pairs skating used to be less popular than singles skating, with fewer athletes in the discipline. This was primarily due to the limited training environment. A lack of coaches forced skaters to train abroad. There were also few domestic ice rinks for practicing acrobatic moves.

日本ではペアスケートの人気がシングルスケートに比べて低く、競技人口も少ない分野でした。

それは、主に練習環境が限られていたためです。コーチ不足と練習場所の少なさが原因で、選手は海外での練習を余儀なくされました。また、国内にはアクロバティックな技を練習できるアイスリンクもほとんどありませんでした。  

  discipline(ディシプリン):訓練、鍛錬、規律、(学習の)分野(名詞)➡︎他動詞(訓練する)あり。

  with fewer athletes in the discipline:競技人口が少ない

  acrobatic moves:アクロバティックな動き

 

 Initially a singles skater, Kihara was invited by the Japan Skating Federation to try out for the pairs competition due to his solid skating skills and sincere personality.

元々はシングルのスケーターだった木原選手は、その確かなスケート技術と真摯な人柄から、日本スケート連盟によってペア競技への転向を打診されました。

  federation:連盟、連邦

  try out for〜:〜のオーディションを受ける、〜の選考に参加する

  sincere:誠実な、心からの、偽りのない(形容詞)

 

This offer may have also suggested that Kihara would unlikely find success in the singles competition.

この提案は、木原選手がシングル競技で成功する見込みがないことを示唆していた可能性もあります。

  unlikely find success:成功する可能性が低い、成功する見込みが無い

(物語)

アンドレイ・サヴォスチャノフと言う百姓の小ぎれいな広々とした家で、2時に会議が招集されました。

大家族の百姓達や、女房達や子供達は、入口脇の煙出しの無い汚い部屋にごちゃごちゃと固まり合っていました。

アンドレイの孫娘で、6歳になるマラーシャという少女だけが、総司令官に可愛がられて、お茶の時に砂糖のかけらを貰い、そのまま広い部屋の暖炉の上に残っていました。

マラーシャは暖炉の上から、次々と部屋に入って来て、上座の聖像の下の広いベンチに腰を下ろす将軍達を珍しそうに眺めていました。

 

おじいさんは(マラーシャはこっそりクトゥーゾフをこう呼んでいました)、1人だけみんなから離れて暖炉のかげの薄暗い隅に座っていました。

入ってくる将軍達は、次々と元帥の前に歩み寄りました。

彼はある者には手を与え、ある者には会釈だけを返しました。

副官のカイサロフが、クトゥーゾフ の前の窓のカーテンを開けようとすると、クトゥーゾフを腹立たしげに『よい』と言うように手を振りました。

総司令官は、顔を見られたく無いのだな、とカイサロフは悟りました。

 

百姓家の木造りのテーブルの上に、地図や、作戦計画や、鉛筆や、紙などが並べられ、その周りには余りにも大勢の人々が集まったので、従卒達は新しいベンチを運んで来て、テーブルの側に置きました。

そのベンチには、エルモーロフ 、カイサロフ、トーリが座りました。

聖像の真下の最上席には、秀でた額が禿げ上がっているバルクライ・ド・トリーが、ゲオルギイ勲章を首に下げ、蒼白い病的な顔をして座っていました、彼は昨日から熱病に掛かっていて、今も悪寒と頭痛に苦しめられていました。

その隣はウワーロフで、性急な身振りを交えて、低い声で何やらバルクライに伝えていました。

小柄で丸っこいドーフトゥロフが、腕組みをして注意深く耳を澄ませていました、その向かい側には、オステルマン・トルストイ伯爵がじっと瞑想に沈んでいるかに見えました。

 

一同はベニグセンを待っていたのでしたが、当のベニグセンは、再度の陣地視察を口実にして、のんびりと贅沢な食事を楽しんでいたのでした。

一同は2時から4時まで彼を待ち、その間会議には入らずに小声無関係な話を交わしていました。

ベニグセンが百姓家に入って来ると、待ち構えていたようにクトゥーゾフは隅から出てテーブルの方へ椅子を進めましたが、ろうそくの光の輪に顔が入らないようにしていました。

 

「戦わずしてロシアの聖なる古都を放棄するか。それとも防衛するか❓」と言う問題を提起して、ベニグセンが会議の幕を開けました。

全員の長い沈黙が続きました、どの顔も険しくしかめられていました、そして静寂の中にクトゥーゾフ の腹立たしげな唸り声と咳払いだけが聞こえました。

「ロシアの聖なる古都か❗️」と、ふいに腹立たしげな声でベニグセンの言葉を繰り返し、それによってこの言葉の虚偽の皮を剥ぎ取りながら、彼は言いました。

「異を立てるようだが、閣下、この問題はロシア人にとって意味がありませんな。そのような問題の立て方はいけません。わしが皆さんに集まって審議してもらおうと思った問題は、軍事上の問題です。それは次の様な問題です。つまり、ロシアを救う者は軍である。決戦を受けて、軍とモスクワを失う危険を冒すのが有利か、戦わずしてモスクワを渡すのが有利か❓この問題に対する皆さんのご意見をわしは承りたいのです。」と言うと、クトゥーゾフは椅子の背に身体を戻しました。

 

討論が始まりました。

ベニグセンは、まだ自分が負けたとは思いませんでした。

フィーリ付近の防衛戦を行う事は不可能だとするバルクライやその他の人々の意見に一歩譲って、彼はロシアに対する愛国心とモスクワに対する愛を全身に漲らせて、夜のうちに軍を右翼から左翼へ移動させ、翌朝フランス軍の右翼を叩く、という案を出しました。

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(解説)

フィーリの百姓家で、総司令官クトゥーゾフを中心に将軍達が『モスクワ防衛か放棄か』の軍事会議を始めるまでの様子を描いています。

(モスクワ防衛を強く主張する)ベニグセンは、皆んなが待っているのに一人マイペースで2時間も遅れて会議に到着します。

ベニグセンは、クトゥーゾフ が総司令官に選ばれたのが気に入らず、なんとかこの戦闘で自分の功績を上げ、クトゥーゾフ に責任転嫁したい人なのですね。

前総司令官のドイツ人のバルクライ・ド・トリーも、どちらかというと反クトゥーゾフ派ですが、この人は、また別の意味でクトゥーゾフ に反目している人で、この人はモスクワ放棄派と思われます(ロシアの降伏を進言しているくらいの人ですからね)。

 

さて、クトゥーゾフ は、これらの濃い面々達の中でどんな決断をするのでしょうか。。