(物語)
岸も、堤の上も、池の中も、至る所白い健康なたくさんの肉体で埋めつくされていました。
士官のチモーヒンが、赤い鼻をして、堤の上でタオルで身体を拭いていましたが、アンドレイ公爵を見るときまり悪そうな顔をしました、それでも思い切って彼に言葉をかけました。
「良い気持ちですよ、公爵。ひとついかがですか❗️」と。
「汚いじゃ無いか。」と、眉を潜めてアンドレイ公爵は言いました。
「すぐに貴方の場所を開けさせます。」そう言い捨てると、チモーヒンは裸のままで走って行きました。
「公爵が水を浴びられるぞ。」
皆が慌てて退き出したので、アンドレイ公爵はかろうじて彼らを静めました。
彼は納屋の中で身体を拭く方が良いと思いました。
『肉、身体、大砲の餌か❗️』と、自分の身体を眺めながら彼は考えました。
そして寒さよりも、汚い池の中で水を浴びていたおびただしい数の肉体を思い出し、自分でも不可解な嫌悪と恐怖の為にゾクゾクするのでした。
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8月7日にバグラチオン公爵は、スモーレンスク街道のミハイロフカ村の宿舎で、次のような手紙を書きました。
(以下、バグラチオンのアラクチェーエフ に宛てた手紙)
『アレクセイ・アンドレーエヴィチ伯爵閣下(=アラクチェーエフ )。
スモーレンスクを敵の手に明け渡した事は、大臣(=バルクライ・ド・トリー)から既に報告が有った事と思います。
最も重要な要衝がなすこともなく放棄された事は、心痛み、気の塞ぐ事で、全軍の士気は消沈しております。
私は、自分の立場から膝詰めの談判で理を尽くして請願し、ついには意見書まで奉呈したのですが、何ひとつ大臣の同意を得る事が出来ませんでした。
ナポレオンはかつてない苦境に陥っており、兵数の半分を失うともスモーレンスクを落とす事は出来なかったはずであります。
我が軍は、かつて無い程に勇敢に戦い、現に戦っております。
私は1万5千の兵を持って35時間以上持ち堪え、敵を撃破しました。
ところが大臣は、14時間すら踏みとどまろうとしませんでした、これは恥であり、我が軍の汚辱であります。
私をして言わしむれば、彼こそ死を持って申し開きを成さなければなりません。
もし、彼が損失が大であったと報告しているなら、それは嘘であります。
恐らく、約4千か、それ以下と思われますが、しかしそれも問題ではありません、たとえ1万でも。。戦争ですから。
あと2日踏み止まる事が、何程の苦で有ったのか❓
少なくとも敵は自ら後退したはずです、人馬に飲ませる水が無かったからです。
彼(=バルクライ・ド・トリー)は、後退せぬと私に約束しておきながら、夜半に撤退するという命令を、突然私に送りつけて来たのです。
このような事では戦争は出来ません、そして早晩、恐らく敵をモスクワに入れる事になるでしょう。。
貴方が講和を考えておられるという噂が流れています。
講和など、とんでも無い事です。
このような多大な犠牲を払い、狂気の沙汰の退却を重ねた挙句ーー講和など言い出したら、貴方は全ロシアを敵に回し、我々は軍服に恥じる事になるでしょう。
こうなったからには、ロシアがある限り戦わねばなりません。
指揮は1人で取るべきであり、2人で取るものではありません。
貴方の大臣は、大臣の仕事をさせたら立派な人物かも知れませんが、将軍としては無能どころか有害です。
しかも、そのような男に我が祖国の運命が委ね垂れたのです。
講和を進言したり、軍の指揮を大臣にゆだねることを助言したりするような者は、陛下を敬愛しておらず、我々全ての破滅を望んでいる事は明らかです。
どうか義勇軍をご用意下さい、なぜなら大臣が巧みな方法で客(=ナポレオン)を首都へ案内しようとしているからです。
侍従武官ヴォリツォーゲン氏も、我々よりナポレオンに近いとの噂ですが、そんな男が一切を大臣(=バルクライ・ド・トリー)に進言しているのです。
私の方が年次は上ですが、彼に対して礼を尽くし服従している次第です、しかし、これは皇帝陛下を敬愛していればこそです。
陛下がこのような輩に光栄ある軍をお任せになっている事が、惜しまれてなりません。
ご想像ください、この退却行によって我々は疲労と疾病の為に1万5千を超える兵員を失ったのです。
もし攻撃していたら、このような事は無かったはずです。
我々が、このように案じ、このように慈悲深い祖国を暴徒の手に渡し、国民1人1人の胸に憎悪と屈辱を植え付けるような事をしたら、我々の母なるロシアは何と言うでしょう。。
全軍がことごとく悲憤に泣き、大臣に対する怨嗟の声が地に満ちています。。。』
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(解説)
まず、禿山に立ち寄ったアンドレイ公爵が、再び軍と合流した時、部下たちはため池で涼を取っていたのですね。
ちょっと神経質なアンドレイ公爵は、まるで芋の子を洗うようなため池は『不潔だわ〜』と思って、納屋で体を拭くのですが、部下たちの白い肉体は所詮弾丸の餌になるんだ。。と考えると身震いがします。
彼らが命を吹き返したように明るい表情であるのがなお一層の虚しさを感じさせます。。
人間として生まれ、満足に食べて、仕事をして家庭を持って。。そんな人間としての尊厳はここにはありません。
そんな『戦争』を、アンドレイの目を通してトルストイは批判している部分だと思います。
それから後半は、当時の軍の最高指導者バルクライ・ド・トリーに対するバグラチオン公爵の、アラクチェーエフ に送った憤怒の手紙ですね。
手紙の内容では、スモーレンスクでロシア軍が戦っていれば十分に勝てたのに、バルクライはロクに軍を忍耐もさせずに後退の命令を出してしまった、と言う訴えですね。
スモーレンスクではもう、敵方のフランス軍も消耗していて、特に水供給が相当悪かった、と言うものですね。
フランス軍にも相当数の犠牲者が既に出ており、ここで十分に叩いておけば、ロシア軍がきつい行軍をしながら後退する必要性は無かったはずだ、と言うものです。
ロシア軍は、スモーレンスクへの一斉攻撃で多くの犠牲者を出したのではなく、むしろ後退の途中の疫病や飢餓で多くの人員が命を落としたのだ、と言う記述ですね。
このような男にロシア軍の指揮を委ね、挙げ句の果てはモスクワにナポレオンを誘導させ、ロシアを滅ぼすのはどうなんですか❗️❗️と言う彼らしい怒りの手紙を書いて、皇帝の目にも触れるであろう側近のアラクチェーエフ 宛てに送っているのですね。
(ここに記載されたバグラチオンの手紙の内容は、アンドレイ公爵もそのように考えていたような本文中の記載が見られ、多くの将軍達がスモーレンスクでは戦っておくべきだった、と思っていたようなニュアンスが読み取れます。後に総司令官がバルクライ・ド・トリーから生粋のロシア人のクトゥーゾフに変更された経緯になります。)






