気ままな日常を綴っています。 -19ページ目

気ままな日常を綴っています。

いつか静かに消える時まで。。
一人静かに思いのままに生きたい。。

(物語)

人生の現象には、無数の分類の方法が可能ですが、その中には全ての内容に重点を置いて分ける方法もあるし、形に重点を置いて分ける方法もあります。

ペテルブルグの、特にそのサロンの生活は後者と考えて良く、ここの生活は不変でした。

 

1805年以来、我々はボナパルトと和睦したり争ったりして来たし、また憲法法案を作ったり練り直したりして来ましたが、アンナ・パーヴロヴナのサロンとエレンのサロンには、前者は7年前と、後者は5年前と全く変わっていませんでした。

アンナ・パーヴロヴナのサロンでは、ボナパルトの成功が疑惑を持って語られ、彼の成功も、彼の成功に対おするヨーロッパの皇帝達の追従も、アンナを代表する廷臣達のグループに不快と不安をもたらす邪悪なものと見られていました。

他方、稀に見る聡明な婦人と折り紙を付けられていたエレンのサロンでは、1812年であるにも関わらず(=ナポレオンがロシア領土内に侵攻したにも関わらず)、偉大なナポレオンの事が感激を持って語られ、フランスとの決裂が遺憾の目で見られており、エレンのサロンに集まる人々の意見では、この決裂は講和によって終了するはずでした。

 

最近、皇帝が軍から帰京してからは、この対立する両サロンのグループにある種の動揺が生まれ、相互間に何度かデモンストレーションが行われましたが、しかし両グループの傾向は変わりませんでした。

アンナ・パーヴロヴナのサロンにはフランス人ではこちらの王朝擁護主義者だけが迎えられ、フランス劇場へ行ってはならぬ、劇団の維持費で軍団が1つ賄える程だ、という愛国的思想が語られ、我が軍にとって極めて有利な噂が広めされていました。

 

これに反して、エレンのフランス派のグループでは、敵や戦争の残酷さに関する噂は否定され、講和に対するナポレオンのあらゆる試みが話題にされていました。

総じてエレンのサロンでは、戦争に関する意見は全て、もうじき講和を持って終わりとなる空疎なデモンストレーションと考えられていて、今はエレンの身内のような存在となっていたビリービンの(聡明な者は、彼女のサロンに集まらなければならぬとされていた)、戦争を解決するのは火薬では無く、戦争を考え出した人々だ、という考えが支配していました。

このグループでは、皇帝と共にペテルブルグにもたらされたモスクワの熱狂の知らせが、皮肉に嘲笑されていました。

 

アンナ・パーヴロヴナのグループでは、その反対に、モスクワの熱狂に感激して、彼らの事を語り合っていました。

ワシーリィ公爵は、両派を繋ぐ鎖の環となっていました。

彼は『尊敬すべき親友』アンナ・パーヴロヴナのサロンも訪れたし、『娘の外交的サロン』にも出入りしており、絶えず両派の間を行き来していたので、頭が混乱してアンナのサロンで言うべき事を、うっかりエレンのサロンで言ってしまったり、またその逆の失敗をしたりする事がしばしば有りました。

 

皇帝の帰京後間もない頃、ワシーリィ公爵はアンナ・パーヴロヴナのサロンで、バルクライ・ド・トリーを厳しく非難し、誰を総司令官にすべきか、と言う熱弁をふるっていました。

客の1人で『才長けた人物』と言う通り名で知られている人物が、ペテルブルグ義勇軍司令官に選ばれたクトゥーゾフが、今日民兵採用の会議に出ているのを見たと語り、クトゥーゾフこそ全ての要求を満たせる人物かも知れぬと言う憶測を、用心深く持ち出しました。

アンナ・パーヴロヴナは苦々しく笑って、クトゥーゾフは皇帝に不快な思いをさせた以外には何もしなかった、と指摘しました。

 

「私は貴族会で口を酸っぱくして言ったのですがな。。」と、ワシーリィ公爵が口を入れました。

「聞き入れられなかったのですよ、彼を義勇軍司令官に選ぶ事は陛下のお気にめさぬだろう。。と、私は力説したのですよ、彼らはそれを聞こうともしなかった。」

ワシーリィ公爵は続けて「相変わらず妙な反対癖がありましてな。これもみんな馬鹿げたモスクワの熱狂ぶりの猿真似をしたがるからですよ。」と、頭が混乱して、エレンの所ではモスクワの熱狂ぶりを愚弄しなければならないけれど、アンナの所では逆し賞賛する必要がある事をすっかり忘れてこう言ってしまうのでした。

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(解説)

この第6チャプターは、ざっと表面的に読むとペテルブルグのアンナ・パーヴロヴナのサロンとピエールの妻エレンのサロンを舞台にして、前者は親ロシア的、後者は親フランス的なサロンで、どう行った内容の会話がなされていたのか、という紹介部分ですね。

こうして、当時のペテルブルグを2分していた今回のフランス軍侵攻に対する世論を紹介している部分と考えられます。

 

そして、エレンのサロンの親フランス派は、講和で持って戦争を終結させるべきだと考えられていました。

一方、アンナのサロンでは、ドイツ人のバルクライ・ド・トリーが『司令官としてはどうなのか❓やっぱり生粋のロシア人に司令官になってもらった方が良いのではないか❓』という事が言われていたようですね。

そして、バルクライ・ド・トリーの後任の総司令官を誰にするのが良いのか❓について議論がなされていたようですね。

 

この二つのグループは、互いに意見が合いませんでしたが、アンナ・パーヴロヴナの親友であり、エレンの父親であるワシーリィ公爵が両派を繋ぐ鎖の環の役目を担っていたのですね。

皇帝の帰京後間もない頃、ワシーリィ公爵はアンナ・パーヴロヴナのサロンで、バルクライ・ド・トリーを厳しく非難し、誰を総司令官にすべきか、と言う熱弁をふるっていました。

そこへ、アンナ・パーヴロヴナのサロンに客として来ていた『才長けた人物』が、ペテルブルグ義勇軍司令官に選ばれたクトゥーゾフが、今日民兵採用の会議に出ているのを見たと語り、クトゥーゾフこそ全ての要求を満たせる人物かも知れぬと言う憶測を喋ってしまいます。

それを聞いたワシーリィ公爵は、クトゥーゾフなんて総司令官にはふさわしくない、と頭が混乱しながらも徹底的に非難します。

 

お早うございます♪  今朝は、令和8年1月13日の日記です♪

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こんばんはー♪  現在17時53分です。

室温12.3度。湿度35%です。

 

昨夜も19時には、寒いのでお布団に包まって動画を見ていたらいつの間にかあの世に出かけていたと思います。

夢は見ているかも知れませんが覚えていません💦

はい。今朝は、まあまあの時間でした。

今朝もまあ寒い朝なので、ゆっくりでいいや〜モードマンマンだったのですけれどね。

 

今朝は、残っていたおぜんざいを全部平らげてしまいました(^。^)

これ。。。結構なカロリーだと思います💦

あまりお砂糖は入っていないと思いますが、量が多ければ同じです💦

お餅は『るとくん』のお餅です。

どうやら、このお餅は綺麗に出来すぎているので、嫁に聞いたところに依ると、お餅作りのうまいオバ様がうちの息子に(というか息子の母に=私に❓)上げるように。。と頂いたものだったらしいです💦

どーこまで甘えてるんだか💦    あー💢💢💢★★

 

ま。嫁があの子を教育してくれているので、安心しきっている私も私ですけれどね💦

携帯・パソコンの設定、子供パソコン教室、修理、田植え、稲刈り、薪割り、炭焼き、竹林の整理。。。たまに音楽作る❓。。。う〜む。。。。知らんがな、私はもう。。💢(➡︎な〜にをやってるんだかわけわからん息子)

 

はい。

気を取り直して今朝の先物。

めちゃくちゃ上げています。。。が。。。

本業はあまり面白くありませんでした。

英字新聞やっつけていましたね、主に。

 

朝はおぜんざいを食べすぎて『もういいや〜』モードだったのですけれどね、時間が来るとなんか食べたくなります。

部屋が寒かったので、ずっと前に買っておいたカップうどんを頂きました。

あったかいのがご馳走ですね💞

でもね、このおうどん、美味しかったです✨✨

また買い置きしておこうかな。。

 

はい。お天気になってきたので、13時頃から出掛けました。

食べ過ぎたので、天神まで歩きました。

行く先は新天町です。

そうそう。。新天町は今年いっぱいとかいう噂ですね。。

私の遊び場もついに姿を消すのかな。。❓ま。仕方がありませんけれどね。

今のうちに堪能しておこうと思います♪

 

本当に良いお天気です。

でも、風は冷たいですね。。。

 

はい。適当に通読と読書をしておりました。

まー。こんな風に遊ぶのが好きなんですわな、マイペースに過ごせて(^。^)

 

15時半頃まで居たかな。。

帰りに大阪王将に寄りました。

カンパチのアラは、全部焼いているので明日・明後日でも良いかな。。と思って。

この間、やっぱり炒飯がいいな。。と思っていたのでリベンジです。

やっぱり、私には炒飯がピッタンコみたいです。

新天町の商品券も使えて良かったです(^。^)。

冷蔵庫には、まだ食べるものがいっぱいあるので、当分外食は控えます(➡︎一応、誓約しておかないとね💦)。

 

帰宅は16時半くらい。

お野菜代わりにお友達からいただいたおみかんをカットして頂きました💞

めちゃくちゃ美味しかったです✨

 

はい。今日もこんな感じです。

寒いですが、あと少し英単語を調べます。

 

今日も、良い一日をお過ごし下さいね💞

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(余談)

We are ghosts on the night shift, says Leandro Cristovao from Angola, who has worked the graveyard shift at a south London market for seven years.

アンゴラ出身のレアンドロ・クリストヴァオさんは、南ロンドンの市場で7年間、深夜勤務を続けています。彼は「私たちは夜勤の幽霊だ」と語っています。

  graveyard(グレイヴヤード):墓地、共同墓地

  graveyard shift:深夜勤務や夜勤を意味する英語表現

 

In the last decade, Britain's nine-million-strong nighttime workforce has become increasingly reliant on migrants like Cristovao, as the number of UK-born workers doing night work shrinks.(太字:三単現)

過去10年で、イギリスの深夜労働人口総勢900万は、クリストヴァオさんのような移民の方々への依存度を増しています。これは、深夜勤務をする英国生まれの労働者数が減少しているためです。

  In the last decade:過去10年間で、この10年間で

  workforce:全従業員、(総)労働力、労働(力)人口

  increasingly(インクリーシングリィ):ますます、いよいよ、段々(副詞)

  reliant(リィラァィアントゥ):〜を当てにしている、〜を頼っている、〜に依存している(形容詞)

  reliant on〜:〜に依存している、〜に頼っている

  migrant:季節労働者、移民、渡り鳥(加算)➡︎形容詞用法もあり

  shrink:縮む、つまる、減る(自動詞)縮ませる、詰まらせる(他動詞)

  

You have a lot of night work carried out by migrant night workers in -- somewhat unfairly named -- low-skilled sectors, explained Julius-Cezar Macarie, a sociology professor at University College Cork.

UCC(ユニバーシティ・カレッジ・コーク)の社会学教授であるJulius-Cezar Macarie教授の説明によると、「スキルの低い分野」と、やや不公平な表現で呼ばれる業界には、移民の夜間労働者が多くいます。

  carried out by 〜:〜によって遂行される、

  somewhat unfairly named:やや不公平な名前がつけられている

  sector:経済や社会の「部門」や「分野」 を意味する英単語、扇型

  sociology(ソーシオロジー):社会学

 

Their work is very, very essential, because they maintain this ... 24-hour society, said Macarie, whose Nightwork Footprint project researches the invisibility of the shift.(太字:三単現)

彼らの仕事は、この24時間社会を維持している点で、マカリー氏が強調するように非常に重要です。そして、彼の研究プロジェクト「Nightwork Footprint(夜間労働の足跡)」は、夜間勤務の目に見えにくい面を研究しています。

  maintain:何かを良い状態に保ち続ける、維持するという意味(他動詞)

  invisibility:目に見えないこと、隠れていること、不可視性(不可算)

  

(物語)

岸も、堤の上も、池の中も、至る所白い健康なたくさんの肉体で埋めつくされていました。

士官のチモーヒンが、赤い鼻をして、堤の上でタオルで身体を拭いていましたが、アンドレイ公爵を見るときまり悪そうな顔をしました、それでも思い切って彼に言葉をかけました。

「良い気持ちですよ、公爵。ひとついかがですか❗️」と。

「汚いじゃ無いか。」と、眉を潜めてアンドレイ公爵は言いました。

「すぐに貴方の場所を開けさせます。」そう言い捨てると、チモーヒンは裸のままで走って行きました。

 

「公爵が水を浴びられるぞ。」

皆が慌てて退き出したので、アンドレイ公爵はかろうじて彼らを静めました。

彼は納屋の中で身体を拭く方が良いと思いました。

『肉、身体、大砲の餌か❗️』と、自分の身体を眺めながら彼は考えました。

そして寒さよりも、汚い池の中で水を浴びていたおびただしい数の肉体を思い出し、自分でも不可解な嫌悪と恐怖の為にゾクゾクするのでした。

 ーーー

8月7日にバグラチオン公爵は、スモーレンスク街道のミハイロフカ村の宿舎で、次のような手紙を書きました。

以下、バグラチオンのアラクチェーエフ に宛てた手紙

 

『アレクセイ・アンドレーエヴィチ伯爵閣下(=アラクチェーエフ )。

スモーレンスクを敵の手に明け渡した事は、大臣(=バルクライ・ド・トリー)から既に報告が有った事と思います。

最も重要な要衝がなすこともなく放棄された事は、心痛み、気の塞ぐ事で、全軍の士気は消沈しております。

私は、自分の立場から膝詰めの談判で理を尽くして請願し、ついには意見書まで奉呈したのですが、何ひとつ大臣の同意を得る事が出来ませんでした。

 

ナポレオンはかつてない苦境に陥っており、兵数の半分を失うともスモーレンスクを落とす事は出来なかったはずであります。

我が軍は、かつて無い程に勇敢に戦い、現に戦っております。

私は1万5千の兵を持って35時間以上持ち堪え、敵を撃破しました。

ところが大臣は、14時間すら踏みとどまろうとしませんでした、これは恥であり、我が軍の汚辱であります。

私をして言わしむれば、彼こそ死を持って申し開きを成さなければなりません。

もし、彼が損失が大であったと報告しているなら、それは嘘であります。

 

恐らく、約4千か、それ以下と思われますが、しかしそれも問題ではありません、たとえ1万でも。。戦争ですから。

あと2日踏み止まる事が、何程の苦で有ったのか❓ 

少なくとも敵は自ら後退したはずです、人馬に飲ませる水が無かったからです。

彼(=バルクライ・ド・トリー)は、後退せぬと私に約束しておきながら、夜半に撤退するという命令を、突然私に送りつけて来たのです。

このような事では戦争は出来ません、そして早晩、恐らく敵をモスクワに入れる事になるでしょう。。

 

貴方が講和を考えておられるという噂が流れています。

講和など、とんでも無い事です。

このような多大な犠牲を払い、狂気の沙汰の退却を重ねた挙句ーー講和など言い出したら、貴方は全ロシアを敵に回し、我々は軍服に恥じる事になるでしょう。

こうなったからには、ロシアがある限り戦わねばなりません。

 

指揮は1人で取るべきであり、2人で取るものではありません。

貴方の大臣は、大臣の仕事をさせたら立派な人物かも知れませんが、将軍としては無能どころか有害です。

しかも、そのような男に我が祖国の運命が委ね垂れたのです。

講和を進言したり、軍の指揮を大臣にゆだねることを助言したりするような者は、陛下を敬愛しておらず、我々全ての破滅を望んでいる事は明らかです。

どうか義勇軍をご用意下さい、なぜなら大臣が巧みな方法で客(=ナポレオン)を首都へ案内しようとしているからです。

 

侍従武官ヴォリツォーゲン氏も、我々よりナポレオンに近いとの噂ですが、そんな男が一切を大臣(=バルクライ・ド・トリー)に進言しているのです。

私の方が年次は上ですが、彼に対して礼を尽くし服従している次第です、しかし、これは皇帝陛下を敬愛していればこそです。

陛下がこのような輩に光栄ある軍をお任せになっている事が、惜しまれてなりません。

 

ご想像ください、この退却行によって我々は疲労と疾病の為に1万5千を超える兵員を失ったのです。

もし攻撃していたら、このような事は無かったはずです。

我々が、このように案じ、このように慈悲深い祖国を暴徒の手に渡し、国民1人1人の胸に憎悪と屈辱を植え付けるような事をしたら、我々の母なるロシアは何と言うでしょう。。

全軍がことごとく悲憤に泣き、大臣に対する怨嗟の声が地に満ちています。。。』

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(解説)

まず、禿山に立ち寄ったアンドレイ公爵が、再び軍と合流した時、部下たちはため池で涼を取っていたのですね。

ちょっと神経質なアンドレイ公爵は、まるで芋の子を洗うようなため池は『不潔だわ〜』と思って、納屋で体を拭くのですが、部下たちの白い肉体は所詮弾丸の餌になるんだ。。と考えると身震いがします。

彼らが命を吹き返したように明るい表情であるのがなお一層の虚しさを感じさせます。。

人間として生まれ、満足に食べて、仕事をして家庭を持って。。そんな人間としての尊厳はここにはありません。

そんな『戦争』を、アンドレイの目を通してトルストイは批判している部分だと思います。

 

それから後半は、当時の軍の最高指導者バルクライ・ド・トリーに対するバグラチオン公爵の、アラクチェーエフ に送った憤怒の手紙ですね。

手紙の内容では、スモーレンスクでロシア軍が戦っていれば十分に勝てたのに、バルクライはロクに軍を忍耐もさせずに後退の命令を出してしまった、と言う訴えですね。

スモーレンスクではもう、敵方のフランス軍も消耗していて、特に水供給が相当悪かった、と言うものですね。

フランス軍にも相当数の犠牲者が既に出ており、ここで十分に叩いておけば、ロシア軍がきつい行軍をしながら後退する必要性は無かったはずだ、と言うものです。

ロシア軍は、スモーレンスクへの一斉攻撃で多くの犠牲者を出したのではなく、むしろ後退の途中の疫病や飢餓で多くの人員が命を落としたのだ、と言う記述ですね。

 

このような男にロシア軍の指揮を委ね、挙げ句の果てはモスクワにナポレオンを誘導させ、ロシアを滅ぼすのはどうなんですか❗️❗️と言う彼らしい怒りの手紙を書いて、皇帝の目にも触れるであろう側近のアラクチェーエフ 宛てに送っているのですね。

(ここに記載されたバグラチオンの手紙の内容は、アンドレイ公爵もそのように考えていたような本文中の記載が見られ、多くの将軍達がスモーレンスクでは戦っておくべきだった、と思っていたようなニュアンスが読み取れます。後に総司令官がバルクライ・ド・トリーから生粋のロシア人のクトゥーゾフに変更された経緯になります。)