(前回の解説の続き)
そうして、公爵令嬢マリヤの自分への深い気持ちを知ったニコライは、『これは逃れようが無い運命なのだ』とマリヤと結婚した、という事ですね。
彼は、決してお金目当ての結婚をした訳ではありません。
愛した女性がたまたまお金持ちだっただけなのですね。
それに、彼女からはたくさんの学ぶべき点が有った。。それを毎日発見するのが嬉しかったと思います。
ここで『母親を連れて』は理解できますが、彼はソーニャをも連れて禿山の邸宅で結婚生活をスタートさせるのですね。
これはですね、当時の時代背景からは致し方無い事なのですね。
ソーニャは独り立ち出来ませんから、どうしてもロストフ家の家長だったニコライがその生活の責任を負う事になってしまうのは当然なのですね。
マリヤは、それを理解しつつも、ソーニャの事、即ち、夫との過去が許せなくて苦しんでいる。。という話なのだと思います。
あのですねー。。私個人としては、これはね、マリヤは、ニコライの過去の全てを受け入れるのが穏便だと思うのですよね。
昔の恋人と一緒に住まざるを得ない事情であっても、ニコライの性格からは、ソーニャともどうにかなるって言う事はあり得ないのですからね。
そしてね、ニコライはソーニャに対して詫びの気持ちは持っている訳ですよ。
それを、『この女性の一生を(使用人以上家族以下❓)としてでさえ、引き受けたい』と思うのなら、それは当然の気持ちですし、これはマリヤが干渉できる次元の話では無い、と思うのですよね。
でも、マリヤですら、そうしがたいジレンマを持っていた、と言う非常に人間らしい部分を描いているのだろうと思います。
聖母のようなマリヤですら、この悲しい運命のソーニャを許せないって言う『人間の性』を持っている、と言うことをですね。
だから、マリヤやナターシャのような女性、これ以上は無いと言う男性と結婚して幸せに暮らしている女性、そして身分もお金もあって、ただ歩いているだけでも尊敬される女性には、次元の違うところで生きざるを得ないソーニャに対して何の評価も下す権利は無いのだ、と私は思うのですよ。
それをナターシャが愚かにも、マタイによる福音書『持っている者はさらに豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられる』という文言を引用して、彼女は『あだ花』だ、って評価していると言う、ちょっと『お金持ちの、人の気持ちなんか汲み取る努力をする必要がない人達』の嫌な側面を表している風に思うのですけれどね。
(マタイによる福音書のこの文言は、こう言う風に世俗的に捉えるもんじゃない、と個人的には思っています。)
確かにこの世には、如何しがたい格差があります。
その格差ゆえに、普通だったら望める人並みの人生を諦めて生きざるを得ない場合っていうのはあると思うのですよ。
しかし、その境遇を自分の運命と受け入れて静かに『自分の出来る事』をこなしながら大人しく生きている人々を、そっとしてあげるのが本当の優しさだと思うのですよね。
この部分は、悲しい運命のソーニャに対して『あだ花』と言って、なんも考えもしない伯爵夫人達の愚かさをただ記載してる風に私には見えるのですけれどね。
ソーニャは、自分の立場を理解しています。
本当は、もうロストフ家に引き取られた時から理解しているのですよね。
でも、彼女は夢見る女の子の部分も当然持ち合わせていたのです。
それを優しく自分を同等に扱ってくれるナターシャの『幼い優しさ』ゆえにロストフ家の跡取り息子と一緒になる夢を見て、やっぱりその夢は覚めたのだ、と言う事だと思います。
しかし、彼女がそれを『声に出して』言えますか❓(➡︎問題は『ここ』なのですよ)
それでも、彼女は自分の過去の恥❓を毎日見せつけられる思いで、ニコライ夫妻の仲睦まじい結婚生活を眺めながら生きて行かざるを得ないのですね。
その不満を口に出せば出すほど自分が惨めになる、とちゃんと理解している聡明な女性なのですね、ソーニャは。
だから、『これも神様から与えられた試練』と受け止めて、毎日静かに過ごしている、それだけじゃないでしょうかね。
当時のロシア上流社会には、このような女性達が結構な数で存在したと思います。
戦争で若い男性が何十万と亡くなったと言う時代ですから。
だから、お金持ちの貴族の家に居候をして生涯を過ごす落ちぶれた貴族の娘は多かったと思うのですよね。
女主人の嫌味や、心ない評価に屈せずに静かに生き続ける彼女達は。。。やっぱりね。。カラターエフの人生にも通じるものがあるような気がするのですよ。。『死を恐れるなかれ』あの世には神様がいらっしゃる、彼の方に会えるように日々静かに祈り続けよう。。ってね。
だからね、トルストイがあえてソーニャの人生を描いたのは『当初から』そんな境遇の女性達にエールを送りたかったのではないでしょうかね。。
私はそのように考えているのです。