(物語)
ピエールの、外から見た態度はほとんど変わりませんでした。
見かけはほとんど以前のままでした。
以前と同じように彼はぼんやりしていて、目の前の事では無く、何か自分だけの特別な考えに気を奪われているように見えました。
以前の彼と現在の彼の状態の相違は、以前には、彼が目の前に在るものや、話しかけられた事を忘れるような時は、いかにも苦しげな表情で顔にシワを寄せ、遠くにある何ものかを見定めようと苦心して、それが出来ないという風でした。
今もやはり彼は話しかけられた事や、目の前に在るものを忘れる事がありました。
しかし今は、明らかに何かまるで別のものを見、そして聞いているらしく見えましたが、それでもそれと気付かれぬ程のあざけりの微笑を浮かべて、目の前に在るものに目を向け、話しかけられる事に耳を傾けるのでした。
以前は、彼は善良だが不幸な人間と考えられていました、だから人々は何となく彼を避けていました。
今は、人生の喜びの微笑が絶えず彼の口辺に漂い、その目には人々への関心ーー皆さんも、私のように満足してるかな❓という問いかけーーが輝いていました。
だから人々は彼と一緒に居るのが快かったのでした。
以前は、彼はよく喋り、喋り出すと興奮してほとんど相手の言葉を聞きませんでしたが、今は滅多に話に夢中にならずに、ひどく聞き上手になったので、人々は好んで自分の心の底の秘密を彼に打ち明ける程でした。
公爵令嬢は、決してピエールに好意を感じた事は有りませんでした。
老伯爵の死後、ピエールに負い目を感じるようになってからは、特に彼に敵意を抱き続けて来たのでしたが、それが今度、ピエールの忘恩にも関わらず(※老伯爵の面倒を見たにもかかわらず遺産をピエールが全部相続してしまった事か❓彼女を早急にモスクワから避難させなかった事か❓)看病することが自分の義務と考えているという高潔な心を、ピエールに見せつけてやるつもりでオリョールに来て、いつの間にか自分でも驚いた事に、自分がピエールに好意を寄せている事を感じ始め他のでした。
ピエールは、少しも公爵令嬢の好意を得ようとした訳では有りませんでした。
彼はただ興味を持って、公爵令嬢を観察していただけでした。
以前には公爵令嬢は、自分に向けられるピエールの視線の中に、無関心と冷笑が有る事を感じていましたが、今は反対に、彼が彼女の生活の奥底の最も大切な泉にまで握り進んで来るように彼女は感じました。
そして彼女は、初めは信じられぬ思いで、やがてそれが感謝の念に変わって、自分の性格の秘められた善良な面を彼の前に見せたのでした。
どんな狡知(こうち)に長けた人間であっても、彼ほど巧みに公爵令嬢の心に忍び入り、信頼を得る事は出来なかったでしょう。。
ところがピエールの狡知の全ては、この恨みに燃えた(※老伯爵の面倒を見たにもかかわらず、遺産は全てピエールが相続したからですね)、乾ききった誇り高き公爵令嬢の心に人間らしい感情を呼び覚ましながら、自分の満足を求めていた、というだけの事でした。
ピエールに生じた変化を、召使のテレンチイとワシカも彼らなりに見ていました。
彼らは、ピエールがひどく気さくになった事に気づきました。
テレンチイは、よく旦那の服を脱がせてやった後で、靴と服を手に持ち、「おやすみなさい」と言ってから、旦那が話し掛けはしないか、とグズグズ待っていました。
すると、たいていピエールがテレンチイが何やら話をしたがっている事に気が付いて、引き留めるのでした。
そして旦那が自分に親しくしてくれる事と、自分も旦那が好きで堪らない事を考えて、嬉しい気持ちで控え室へ引き上げるのでした。
オリョールには何人かの捕虜のフランス人士官が住んでいました、そしてピエールの主治医がその1人で若いイタリア人の士官を連れて来ました。
この士官は、しげしげとピエールを訪れるようになり、このイタリア人がピエールに示す細やかな情を、公爵令嬢は笑って見ていました。
イタリア人はピエールを訪ねて、自分の私的な出来事や、フランス人達や、特にナポレオンに対する憤怒をピエールにぶちまけたりする事が出来る時だけ、幸福感を覚えるらしいのでした。
「もし、全てのロシア人が、少しでも貴方のような気持ちを持っていたら。。このような民族と戦う事は罪悪ですよ。貴方は、フランス人達の為にあれほどの苦しみを舐めたのに、彼らの対して悪意さえお持ちにならない。」
イタリア人のこのような熱烈な友情をピエールが勝ち取ったのも、単に彼の中から彼の心の美しい面を誘い出し、それに愛の目を注いだからに過ぎなかったのでした。。
ーーーーー
(解説)
はい。
ここは前のチャプターの『神様はどこにでもいらっしゃる』という実例をピエールの経験を通して描いた部分だと思います。
簡単に記載すれば、どんなに気難しい人間にでも、また立場が自分と異なる人間にでも、またかつては敵味方に分かれていがみ合った関係であっても、その人個人に目を向けた場合、その言動にも、振る舞いにも、内面の考えにもやはり『神様の意志に導かれたもの』が在るはずだ。。という事だと、思います。
そうすれば、相手の気持ちもこちらに通じるし、それに又答えようとすると、相手方も心を開いてくれるのだ、という考えを述べていると思います。
そのように振る舞う事こそが『神の意志に従う事』である、とトルストイは述べているように思います。
だから、べズーホフ老伯爵の介護をしたにもかかわらず、相続人になれなかった公爵令嬢も、召使のテレンチイも、かつてフランス軍の士官だったイタリア人も、ピエールが『彼らの中に神の意志を見つけよう』と観察したからこそ、皆ピエールに心を開くようになった。。。というお話を記載していると考えます。
個人的な経験ですが、昔、よく『他人の良い面を見るようにしなさい』と言われた事があります。
逆に『他人の粗探し』ばかりするような人間は『他人の悪い面』を引き出し、それを非難する事によって、自分の立場が上だと示そうとするものです。
もし、みんなが『他人の良い面』に目を向け、それを認め、敬意を払えば、また、相手もそのように自分を見てくれるものと思います。
この部分は、おそらくそのような事を言っているものと解釈します。