(物語)
ところが不思議な事に、こうした全ての命令や配置や計画は、同様の場合に出された他のそれに比して少しも劣るものではありませんでしたが、切り離された時計の文字盤の針のように、歯車と噛み合わずに、目的も無く勝手にくるくる回っていました。
軍事面では、戦争全般の天才的な作戦計画ーーこの計画についてティエールは『彼の天才がかつてこれほど深遠で、これほど巧緻で、これほど驚嘆すべき計画を案出した事は無かった』と語っているーーこの作戦計画は、完全に現実から遊離していた為に、実現されなかったし、実現される訳も有りませんでした。
クレムリンの強化は、その為に回教寺院(ナポレオンは、ワシーリィ・ブラジェンヌイ寺院をこう呼んでいた)を取り壊さねばならぬ位の工事でしたが、全く無益なものである事がわかりました。
クレムリンの下に地雷を仕掛けた事も、モスクワを去る時にクレムリンを破壊しようという皇帝の希望の実現を助けただけで、まるで子供が床に転んで八つ当たりして床を殴りつけるようなものでした。
ナポレオンの念頭を一瞬も去らなかったロシア軍の追撃は、聞いた事も無いような意外な現象を生み出しました。
フランス軍の指揮官達が6万のロシア軍を見失ってしまい、ティエールの言葉を借りれば、ミュラーの労練と天才的手腕らしきものを持ってして初めて、針でも見つけるように、この6万のロシア軍を見つける事が出来た、と言うのでした。
外交面に於いては、自己の寛容と公正についてのナポレオンの一切の論証は、トゥトルミン(※モスクワの養老院長)に対しても、もっぱら外套と荷馬車を手に入れる事に心を砕いたヤコヴレフ(※モスクワを脱出出来ずに居た大尉)に対しても、無駄骨であった事がわかりました。
アレクサンドルは、これらの使者を引見しませんでしたし、その持参した書簡には返事もしなかったからでした。
治安維持の面では、架空の放火犯人達の処刑後、モスクワの別な地区に火災が発生しました。
行政面では、市議会の設立は略奪を防止しなかったばかりか、この市議会に参加した数名の者の私腹を肥やしたに過ぎませんでした。
彼らは秩序維持の口実の下に、モスクワ市中で略奪を行い、自分の財産を略奪から守ったのでした。
宗教面では、エジプトでは自ら回教寺院を訪れるという方法によって、あれほど容易に解決出来た事は、ここでは何の結果ももたらしませんでした。
モスクワで見つけ出された2、3人の司祭が、ナポレオンの意向を実行しようと試みました。
ところがその1人は、勤行の最中にフランス兵に頬を殴られたし、もう1人の司祭については、フランスの役人が次のように報告しています。
『私が見つけて、祈祷の勤めを始めるように招いた司祭は、寺院内を清めて、扉に鍵を掛けた。ところがその夜、また民衆が襲って来て扉と鍵を壊し、書物を破り、破壊の限りを尽くしたのである』
商業面では、勤勉な職人達と全ての農民達に対する呼びかけが、全くなしのつぶてでした。
勤勉な職人など居ませんでしたし、農民達は、これらの布告を持って遠出して来た委員達を捕まえて殺してしまったからでした。
劇場を開いて市民や兵士達を慰安する面でも、事はやはりうまく運びませんでした。
クレムリンとポズニャコフ邸に開かれた劇場は、直ぐに閉鎖されてしまいました、女優や男優達がすっかり身ぐるみ剥がされてしまったからでした。
慈善の面ですら、望ましい結果をもたらしませんでした。
偽物と本物の紙幣がモスクワ中に溢れて、紙幣の価値が無くなったからでした。
獲物を漁るフランス兵達にとって必要なものは、金(ゴールド)だけでした。
ナポレオンがあれ程同情を持って罹災者に支給した贋造紙幣が、価値を持たなかったばかりか、金の高騰で銀の価値まで下がってしまったのでした。
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(解説)
う〜〜む。。
ちょっとこの辺りは知識がありませんので、自分の感覚に従って記載して見ます。
結局、ナポレオンのモスクワ占領は、モスクワを横取りした、という『状態』のみで、何ら『外交的・法律的な正当性が付与されていなかった』のが全ての原因では無いのかな。。と思います。
ナポレオンが『事実上の皇帝であり国王』と自称してみた所で、ロシア政府と何の交渉もなされていないし、ましてやロシアの主権がナポレオンサイドに移譲された、という証明が無いのですね。。
だから、ナポレオンがいくら自分が皇帝で、モスクワが安全なので戻って仕事をせよと言おうが、また、自らの権限で紙幣を印刷しようが、それは何の意味も無いというのがそもそも問題なのでは無いか、と思います。
そしてそれはモスクワ市民だけではなく、自分の配下の兵士達に対してさえ、ナポレオンが勝手にモスクワに入って皇帝だ、と言っているに過ぎないという感覚しか与える事が出来なかった為、フランスの兵士達も布告を読んで『ふ〜ん』と納得出来なかったという事だと思います。
今までの勝ち戦では、ナポレオンはきちんと自分サイドに有利な講和を取り付けて、相手国の皇帝も取り込んだ上で改革を行い布告を出していたので、今まではうまく行っていた事が、モスクワでは通用しなかった。。という事かな。。と思います。
間違っていたらすみません💦