(物語)
翌日朝早く、老衰でめっきり弱ったクトゥーゾフはしぶしぶ起き出し、神に祈ると、服装を整え、気の進まぬ戦闘を指揮せねばならぬと言う暗い気持ちで幌馬車に乗り込み、タルーチノの5露里後方のレタシュフカ村の宿舎から、攻撃部隊が集結する事になっていた地点へ向かいました。
クトゥーゾフは馬車の中でうとうとしかけたり、目を覚ましたりしながら、右手の方で銃声は聞こえぬか、まだ戦闘は始まっていないか、と耳を澄ませてみました。
しかしどこも静かでした、湿っぽいどんよりした秋の朝が白みかけたところでした。
タルーチノへ近づくと、行く手の道を横切って馬を水飼い(※ 家畜に水を与え飲ませること)に引いて行く近衛騎兵達の姿が、クトゥーゾフの目に留まりました。
クトゥーゾフ は彼らの目を凝らし、馬車を止めて、どこの連隊か❓と尋ねました。
近衛騎兵達は、今頃はすでにはるか前方の伏兵地点に待機しているはずの部隊の者達でした。
『手違いが生じたな。。』と、老総司令官は思いました。
さらにしばらく馬車を進めると、クトゥーゾフ は歩兵連隊の露営を見かけましたが、叉銃(さじゅう:複数の銃を銃口付近を頂点にして三角錐状に立てる行為)が組まれ、兵士達は股引のままで粥を煮たり、薪を運んだりしていました。
士官が呼ばれました、士官は、攻撃命令など全然受けていない、と答えました。
「たわけた事を。。」と、クトゥーゾフ は怒鳴りかけましたが、直ぐに口をつぐみ、先任士官を呼ぶように命じました。
クトゥーゾフ は馬車を降り、苦しそうに息をつき、相手が現れるのを待ちながら、黙々とその辺りを歩き回り始めました。
呼ばれた参謀本部付士官のエイヘンが来ると、クトゥーゾフ は怒気を顔にみなぎらせました。
それはその士官が手違いを犯したからと言うのではなく、その男が怒りを叩きつけるのにふさわしいような相手だったからでした。
そして老人は、体をブルブル震わせ、狂憤の状態に陥り、両手を振り回し、野卑な言葉で罵りながら、掴みかからんばかりにエイヘンに詰め寄りました。
そこに来合わせた何の罪も無いブロージン大尉も、同じ目に遭わされました。
「なんたる悪党どもだ。なんたるざまか❓銃殺だ❗️ハレンチ漢め❗️」と、彼は両手を振り回し、よろよろしながらかすれ声で怒鳴り散らしました。
彼は肉体的苦痛を覚えました。
彼が、総司令官が、これほどの権力を掌握した者は、ロシアにかつて居なかった、と万人に信じられている大公爵たる彼が、こんな立場に突き落とされ、全軍の笑い者にされたのでした。
『担がれたとも知らず、今日の勝利をあれ程真剣に神に祈り、夜も眠らずに、ひたすら考え続けていたとは❗️』と、彼は昨夜からの自分の事を考えました。
『俺が青年士官だった頃は、誰も俺をこんな笑い者にする勇気は無かったはずだ。。だが、今は❗️』彼は体刑を受けたような肉体的苦痛を覚えていました。
そしてそれを怒りに満ちた苦しい叫びで表現せずには居られなかったのでした、しかし、直ぐに体力が弱りました。
そして彼は、辺りを見回し、汚い言葉を吐き散らし過ぎた事を感じながら、馬車におさまり、黙りこくったまま帰途についたのでした。
すすぎ出された憤怒は、もはや元に戻りませんでした。
そしてクトゥーゾフ は、ベニグセンとコノヴニーツィンとトーリの釈明や、弁護の言葉や(エルモーロフ は翌日まで彼の前に現れませんでした)、今日うまく行かなかった作戦を明日に延ばそうと言う主張などを聞いていました。
そして、クトゥーゾフ はそれを認めなければなりませんでした。
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(解説)
10月5日は戦闘と決定された日のはずでした。
総司令官であるクトゥーゾフは、早朝から攻撃部隊が集結する事になっていた地点へ向かいました。
しかし、前回の通り、総指揮をするエルモーロフ は昨夜の夜8時に命令書を受け取っているので、全陣営に攻撃体制を取らせるのに間に合わなかったのでしょうね。。(というか、元々言うことを聞くつもりも無かった。近衛騎兵士官の同僚の話では、最後に少し名前が登場するコノヴニーツィンへの面当て、という事になっているようですが。)
しかも舞踏会で遊び興じて居たのはエルモーロフ のみならず他の将軍達もですから、全員がグルみたいなものですね。
したがって、視察に行ったクトゥーゾフが見たものは、戦闘体制に入っている兵士達ではなく、のんびりと日常生活を思って居た彼らだったのですね。
流石に前代未聞のこの失態に、クトゥーゾフ は怒り心頭します。
そして、総司令官という強大な権力を与えられているにもかかわらず、彼はもう高齢で馬にも乗れず、他の将軍から妬まれ馬鹿にされている様子が描かれて居ます。
国家存亡の危機時に於いても、こういう事ってあるのですね。恐らく、当時の戦争というものが今の時代とかなり違うからこその人間劇かもしれません。
そして本日遂行すべきだった作戦は、ベニグセンとコノヴニーツィンとトーリの主張により翌日に延期されたのでした。