戦争と平和 第4巻・第1部(12−1)ピエール、捕虜達のバラック小男の兵士カラターエフに出会う。 | 気ままな日常を綴っています。

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(物語)

処刑後、ピエールは他の被告達とはなされて、略奪と破壊の限りを尽くされた小さな寺院に、1人だけ残されました。

夕方近くに衛兵下士官が寺院に入って来て、ピエールに、赦免になり、今から捕虜達のバラックに移される事になった、と伝えました。

ピエールは、原の上手に焦げた枝や丸太や尾屋根などで急造されたバラックに連れて行かれて、その1つに入れられました。

薄暗い中で20名ばかりの雑多な人々がピエールを取り囲みました。

ピエールは、これらの連中が何者で、どうしてこんな所に居るのか、何の為に彼の周りに集まったのかわからずに、皆の顔を見回しました。

 

ピエールは、話しかけられる言葉を聞いていましたが、それらの言葉から1つの結論も推理も引き出す事は出来ませんでした。

『それ(=処刑)』を行う事を望まぬ人々によって決行されたあの恐るべき殺人行為を目撃した、あの瞬間から、ピエールの心の中では、全てを支えて、生きた姿に見せていた、肝心なバネが急に引き抜かれ、全てがばらばらに崩れて無意味なゴミの山と化してしまったかのようでした。

彼の内部では、世界の美しい秩序に対する信念も、人間の魂、自分の心に対する信頼も、神に対する信仰も、消え失せてしまったのでした。

このような状態は、以前にもピエールは経験した事が有りましたが、しかしこれ程強烈に彼を打ちのめした事は有りませんでした。

 

以前に、この種の疑惑がピエールを襲った時は、ーーそれらの疑惑は彼自身の過ちに根ざしていました。

だから、そうした時のピエールは、心の奥底では、そうした絶望や疑惑からの救いが自分自身にある事を感じていました。

ところが今は、世界が目の前で崩壊し、無意味な廃墟だけが後に残った事の原因が、自分の過ちで無い事を、彼は感じていました。

人生への信念へ戻る事がーー彼の力では出来ない事を、彼は感じていました。

 

周りの薄闇の中で人々が立っていました、ピエールの何かが酷く彼らの興味を引いたらしい様子でした。

ピエールは気が付くと、バラックの隅でそちこちで笑いながら話し合っている、何者とも知れぬ連中と並んでいました。

ピエールは壁際の藁の上にじっと腰を下ろして、黙りこくったまま、目を開けたりつぶったりしていました、しかし、目をつぶった途端に、あの恐ろしい、愚直なだけに余計に恐ろしい職工の顔と、不安に怯えている為に一層恐ろしい強制された殺人者達の顔が見えてくるのでした。

 

彼の脇に小さな男が背を丸めて座り込んでいました。

その男の居る事に、ピエールは最初、ごそごそ動く毎に放散する汗の臭いで気が付きました。

ピエールにはその顔が見えませんでしたが、それでもその男が絶えずピエールの方を伺っている事を感じました。

ピエールは闇の中に目を凝らしてみて、その男が靴を脱いでいるのだとわかりました。

彼はきちんと靴を脱ぎ終わると、その靴を頭の上辺りに打ち付けてある木釘に掛け、それから座り具合いを直し、立てた膝を両手で抱え込んで、そこで初めてまっすぐにピエールの顔を見ました。

ピエールは、これの無駄の無い動作や、片隅にきちんと整備された彼の世帯や、この男の汗臭い臭いにさえ、何か気持ちの良い、心の和むようなものが感じられて、目を離さずに、この男を見守っていました。

 

「だが、まあ随分と不自由な思いをなさったでしょうな、旦那❓ええ❓」と、だしぬけに小さな男が言いました、そして、その声には溢れるばかりの優しさと素朴さがこもっていたので、ピエールは返事をしようとしましたが、顎がわなわなと震えて、涙がこみ上げて来るのを感じました。

小さな男はその途端に、ピエールに当惑を現す隙を与えずに、やはり気持ちの良い声で喋り出しました。

「ま、若い者は、くよくよしねえ事だ。」と、柔らかい歌うような優しさのこもった声で彼は言いました。

「気を落とさねえ事だよ、旦那。辛抱はいっときだが、人生は100年だ❗️そう言う訳だよ、なあ、旦那。なあに、此処に暮らしていても、ありがてえ事に、腹の立つ事もねえ。同じ人間だ、悪い奴もいりゃ、良い奴もいるよ。」と、彼は言いました。

 

そして言い終わらぬうちに、ひょいと立ち上がると、どこかへ歩いて行きました。

「おや、来たな、こいつめ❗️」と、同じ優しい声がバラックの入口の辺りで言ったのを、ピエールは聞きました。

「よく来たな、ちび(=子犬)、覚えていたんだな❗️よし、よし、もう良いって」そして兵士は、飛びつく子犬を払い除けながら自分の場所に戻って来ると、また腰を下ろしました。

両手には何やらぼろに包んだものを持っていました。

「さあ、食べなされ、旦那」と、ぼろを広げて、いくつかの焼いたじゃがいもをピエールに差し出しながら言いました。

「昼飯にはパンが少しばかりあったんだが、なに、じゃがいもが一番だて❗️」

ピエールは朝から何も食べていなかったので、じゃがいもの匂いが何とも言えぬ快いものに思われました。

彼は兵士に礼を言って、食べ始めました。

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(解説)

ピエールは、こじ付けで罪を着せられ、銃殺刑に処された5名のロシア人、特に5番目のまだ少年の処刑を目の当たりにして、『いったい、これは何なのだ。。』と、動揺します。

今まで、信じてきたこの世の掟(=犯罪を犯さなければ、刑に処せられることはない、真面目に生きていれば、それなりの評価は与えられる)という前提が崩れ去る思いで、一体、自分はこれから何を信じて生きて行けば良いのか❓と思い悩みます。

これまでも、『なぜ自分はこんなになってしまったのだ❓自分の人生とは❓』と悩んできましたが、その悩みは所詮『自分の過ち』によるものであり、自分の悟りとより良い思考でそれは克服出来るものだったのです。

 

しかし、今回の場合は違います。

モスクワに大火が起きれば、占領軍の上層部は『犯人を捉えろ❗️』と命令するでしょう。。

そうして、命令された兵士側は、なんとかして犯人を見つけ出す必要性があるのですね、当時の軍部の内部関係では。

だから、こじ付けでもなんでも良いから、火事現場にウロウロしていたロシア人を適当に捕まえて来て、形だけの尋問をして、そして処刑しているのですね。

ここではピエールは助かっていますが、ピエール自身『なぜ、自分が助かったのか❓』については肌で感じています。

それは、彼がロシア貴族だったこと、きちんと教育を受け、フランス語も驚くほど堪能だったからです。

銃殺されたのは、いずれも下層階級の人間達でした。

ピエールは、同じ人間なのになぜ❓という『自分は助かったからこその』悲しい疑問が頭の中を渦巻いている状態だと思います。

 

そんなピエールの沈んだ表情を見て、一人の小男が話しかけて来ます。

「ま、若い者は、くよくよしねえ事だ。」と、柔らかい歌うような優しさのこもった声でこの男はピエールに語りかけました。

この男は、まるで何かを達観したようにピエールを慰め、子犬を可愛がり、ぼろに包んだ焼いたじゃがいもをピエールに「さあ、食べなされ、旦那」と差し出すのでした。

ピエールは、この男に礼を言って、食べ始めました。

 

(追記)

ここでは、下層部の農民出身の小柄な兵士に、ピエールはじゃがいもをご馳走になりますが、こういうシーンは2回目ですね。

1回目は、ボロジノの会戦の悲惨さを目の当たりにして、歩いて宿に帰る途中に、やはり農民らしい民兵に声をかけられてパン粥をご馳走になっています。

ただ生きる(=食べる)だけで満足していた、この階級の人間に対するトルストイの思考は、かなり美化されていると思います。

この時代の農奴達は、『運命に逆らうことすら許されなかった人達』ですから、『全て神の意志にお任せします』という生き方が身に付いていた人達かもしれませんね。

 

ピエールは大金持ちで高い教育を受けているからこそ、その理不尽に敏感で、それを何とか納得する為にどうしたら良いか❓と思考しますが、この思考自体が、限られた人間達に許されたものだったのかも知れません。