戦争と平和 第3巻・第3部(27−2)ピエール、肉体的にも精神的にも疲弊した中でナポレオン暗殺を | 気ままな日常を綴っています。

気ままな日常を綴っています。

いつか静かに消える時まで。。
一人静かに思いのままに生きたい。。

(物語)

ピエールの、この、今まであくせくして人々が築き上げ守ろうとしている既存の価値を、ぶち壊したいという感情は、人間に、人生に対しては人間の作った条件を超えた高いさばきがあるのだとうそぶき、自分個人の権力と力を試してみようなどと、馬鹿げた事を行わせるものなのです(※トルストイの考え)。

 

スローボードスキイ宮殿で初めてこの感情を経験した日から、ピエールは絶えずその影響下に置かれていましたが、今、ようやくその完全なはけ口を見出したのでした。

それに加えて、ピエールのその意図を支え、放棄する可能性を奪ってしまったのは、既にこの道(=ナポレオン暗殺)へ彼が踏み出してしまった、という事でした。

家からの逃亡も、百姓外套も、ピストルも、モスクワに踏みとどまるとロストフ家の人々に言明した事も、ーーもしそうした言明の後に、他の人々と同じようにモスクワを立ち退くような事をしたら、全てが無意味になってしまうばかりか、皆に軽蔑されるべき滑稽な事になってしまう事なのでした。

 

ピエールの肉体的な状態は、精神的な状態と合致していました。

食べられない粗末な食物や、この2日ほど飲んだウオッカや、ワインとシガーの無い事や、着たきりの汚れた下着や、夜具も無しに小さなソファの上で過ごしたよく眠れなかった2夜など。。こうした事が重なり合って、ピエールを狂気に近い苛立ちの状態に築き上げていたのでした。。

 

もう午後の1時を回っていました、フランス軍は既にモスクワに入っていました。

ピエールはそれを知っていましたが、行動を起こさないで、今後の成り行きをあらゆる微細な点に渡って検討しながら、ひたすら自分の計画を練っていました。

ピエールの空想の中には、肝心な暗殺決行の過程も、ナポレオンの死の光景も生き生きとは浮かばないで、自分の破滅と英雄的な最後ばかりが、異常なまでの鮮明さで思い描かれて、寂しい満足で彼の心を満たすのでした。

 

『そうだ、皆にかわって俺がやらねばならんのだ、殺すか、殺されるかだ❗️』と、彼は考えました。

『そうだ、俺は行くぞ。あっ、そうか。。ピストルにするか、それとも短剣か❓』と、ふっとピエールは考えました。

『だが、どっちでも同じ事だ。俺じゃない、神の手が汝を罰するのだ。。こう言ってやるのだ(ピエールはナポレオンに天誅を加える時に言ってやる言葉を考えました)。さあどうした、俺を捕えて罰するが良い』

 

ピエールが部屋の中央に突っ立って、1人でこんな風に考察を続けていた時、書斎の扉が開いて、入口にこれまではいつもおどおどしていたマカール・アレクセーエヴィチのガラリと一変した姿が立ちはだかりました。

ガウンはだらしなくはだけ、顔は真っ赤で醜く歪んでいました。

彼はピエールを見ると、最初どぎまぎしましたが、ピエールの顔に狼狽の色が現れたのを見て取ると、途端に勢いづいて、ふらつきながら部屋に入って来ました。

 

「奴らは臆病風に吹かれやがった」と、彼は悪気の無いかすれ声で言いました。

「わしは言うぞ、降伏などするものか、わしは言うぞ。。そうだな貴殿❓」

そしてマカールはテーブルの上のピストルに目を留めると、いきなりそれを引っ掴んで、廊下へ飛び出して行きました。

ゲラシムと屋敷番がその後を追い、玄関近くで捕まえて、ピストルをもぎ取ろうとしました。

 

ピエールは廊下へ出て、憐れみと嫌悪を覚えながら、この半狂人の老人を眺めていました。

マカール・アレクセーエヴィチは、顔をくしゃくしゃにして力みかえりながら、ピストルを離すまいと握りしめ、何やら大それた事を考えているらしく、かすれ声で叫びたてていました。

「武器を取れ❗️突っ込むんだ❗️畜生、捕えられてたまるか❗️」と、彼は叫びました。

「わかりましたよ、さあ、もういいじゃありませんか。さあ、お放しになって、旦那様。。」と、注意深く両ひじを掴んで、マカールが身体を扉口の方へねじ向けようと努めながら、ゲラシムが言いました。

「きさまは何者だ❓ボナパルト駄馬❗️」と、マカールは叫びました。

「そんな事をおっしゃるものではありません、旦那様。どうぞお部屋の方へ。。お連れしろ。」と、ゲラシムは屋敷番に囁きました。

マカール・アレクセーエヴィチは両手を掴まれて扉口の方へ引きずられて行きました、聞くに耐えぬ騒ぎが玄関を満たしていました。

 

不意に、今度は女のけたたましい悲鳴が、玄関の方で起こったかと思うと、料理女が駆け込んで来ました。

「あいつらだ❗️大変だ❗️。。間違いない、あいつらだ、4人も、馬で❗️」と、彼女は叫び立てました。

ゲラシムと屋敷番は、マカールを押さえつけていた手を離しました、そして静まり返った廊下に、4人の手が扉を叩く音がはっきりと聞こえました。

ーーーーー

(解説)

ピエールは、モスクワ放棄を知っても、モスクワから避難する事は自分の『善』を求める心を無にしてしまう滑稽な事だと思います。

彼は、どうしても、モスクワにいて、無為の自分を脱皮したいと思っているのですね。

じゃあ何をして❓

ピエールは、今ヨーロッパ全土を不幸に陥れているナポレオン暗殺をしようと思い立ちます。

ナポレオンという不幸の根源を断ち切ることこそ自分に与えられた使命だと、はっきり認識するのですね。

そして、それこそが神の御意志なのだ、とも。

この『思い込み』は、ピエールがこの2日間、慣れない粗末な衣食住をした苦痛によりもっと拍車を掛けられていました。

 

そこへ、恩人ヨシフの弟の半狂人のマカール・アレクセーエヴィチがピエールの前に現れます。

いつものおどおどした彼とは違って、ピエールの狼狽を感じ取るとつかつかと部屋に入ってきて、テーブルの上に放置されたピストルを引っ掴んで、廊下へ飛び出して行きます。

驚いたゲラシムと屋敷番がその後を追い、玄関近くで捕まえて、ピストルをもぎ取ろうと玄関先でマカールと格闘します。

マカールの狂気は、ピエールの心理を表現しているかのようです。

 

そこへ、料理女が興奮してフランス兵が4人騎馬でこちらにやってきている、と告げます。