戦争と平和 第3巻・第3部(8)放心状態のピエール、兵士達の温かさに触れる。 | 気ままな日常を綴っています。

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(物語)

ボロジノの会戦の終わり近くに、ピエールは2度目にラエフスキイ砲台から逃げると、兵士達の群れに混じって谷伝いにクニャジコーヴォ村へ向かい、包帯所の辺りまで来ました、そして血を目にし、悲鳴や呻き声を耳にすると、急いでそこを通り過ぎました。

ピエールが今、心の中でひたすら願っていたのは、ただただ朝からその中で過ごして来た、この諸々の恐ろしい印象から一刻も早く逃れて、いつもの生活条件の中に戻り、部屋の中で自分の寝台の上で静かに眠りたいという事だけでした。

いつもの生活条件の中でしか、今日見たり体験したりした全ての事をとうてい理解出来ないような気がしていました。

 

彼が、今歩いている道の上には、砲弾や銃弾の唸りはありませんでしたが、どちらを向いても、あちらの戦場で見て来たものがありました、苦痛の刻まれた、疲れ果てた、時には気味わるいほど無表情な顔が有りましたし、血も、外套も、遠い銃声も同じでした。

それに加えて、埃で息が詰まりそうでした。

 

モジャイスクに通じる道を3露里ほど歩くと、ピエールは道の端にへたり込みました。

夕闇が地表に沈んで、砲声はもう止んでいました。

ピエールはごろりと横になり、傍の暗がりを歩いて行く影の列を眺めていました。

彼は、のべつ砲弾が恐ろしい唸りを放ちながら自分の所へ飛んで来るような錯覚に脅かされていました。

彼は、どのくらいの時間そうしていたのか、覚えていませんでした。

夜更けに、3人の兵士が枯れ枝を引きずって来て、彼の側に陣取ると、焚火を始めました。

 

兵士達は、ピエールの方を横目で睨んで、火の燃え具合いを良くすると、鍋を掛け、乾パンをちぎって落とし、脂を入れました。

脂っこい食べ物の、美味しそうな匂いが煙の臭いと混ざり合いました。

ピエールは起き上がって、ため息をつきました、3人の兵士達はピエールには目もくれずに何やら話し合っていました。

 

「おい、おめえは何処の隊だ❓」と、いきなり兵士の1人がピエールに声を掛けました。

明らかに、この問い掛けには、ピエールも考えていた事ーー即ち、食べたいならやっても良いが、ただお前はまともな人間かどうか、それが聞きたいだけだよ、という意味が込められていました。

 

「僕か❓僕かね❓」と、兵士達になるべく近い者になる為に、出来るだけ自分の社会的地位を下げる必要を感じながら、ピエールは言いました。

「僕は、ここに部下は居ないけど、本当は義勇軍の士官なんだよ、戦場に着いてはぐれちゃったんだ。」

「へえ、そうかい❓」と、兵士達の1人が言いました。

もう1人の兵士が頭を振りました。

「おい、よかったら、このごった煮を食べなよ❗️」と、初めの兵士が言うと、木の匙を綺麗に舐めとってピエールに渡しました。

 

ピエールは焚火の側に座り、鍋の中からそのごった煮をすくって食べ始めました、それは彼にとって、これまでに食べたどんなご馳走よりも美味しく思われました。

貪るように食べている時、焚火の明かりで照らし出されたピエールの顔を、兵士達は黙って眺めていました。

「これからどこに行くんだい❓おい❗️」と、また兵士達の1人が聞きました。

「モジャイスクだよ。」

「というと。。おめえ、旦那だな❓」

「そうだよ。」

「で、名前は何て言うんだい❓」

「ピョートル・キリーロヴィチ」

「よし、ピョートル・キリーロヴィチの旦那、一緒に行こう、おら達が送ってくよ❗️」

 

辺りは、もう墨を流したような闇でした。

兵士達とピエールは、モジャイスクの方へ歩きました。

彼らがモジャイスクに着いて、町の急な坂道を登り始めた頃は、もう雄鶏が時を作っていました。

ピエールは、自分の宿が坂の下で、もう通り過ぎた事を忘れていました、町に彼を探しに出掛けた

調馬師に出会わなかったら、思い出せなかった位でした。

それ程の放心状態に、彼は落ちていたのでした。

 

「おや、旦那様じゃありませんか❓」と、調馬師は声を掛けました。

「わしらはもう諦めていたんですよ。どうしたんです、歩いたりして❓」

「あっ、そうか。」と、ピエールは言いました。

兵士達は足を止めました。

「どうした。。部下が見つかったのかね❓」と、兵士達の1人が言いました。

「じゃ、お達者で❗️さようなら❗️ピョートル・キリーロヴィチの旦那❗️」と、他の声が言いました。

 

「さようなら」と、ピエールは言って調馬師と一緒に宿の方へ戻りました。

『お礼をやらにゃならんな❗️』と、思ってピエールはポケットに手を入れました。

『いや。。やらん方が良い。。』と、もう1つの声が彼に言いました。

宿の部屋はすっかり塞がっていました。

ピエールは裏庭に抜けて、自分の馬車の中に入り、頭から外套にくるまって眠りについたのでした。。

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(解説)

凄惨な戦争を目の当たりにして、会戦が終わる頃ピエールは放心状態でモジャイスクの宿の方を目指して歩きます。

ピエールが今、心の中でひたすら願っていたのは、ただただ朝からその中で過ごして来た、この諸々の恐ろしい印象から一刻も早く逃れて、いつもの生活条件の中に戻り、部屋の中で自分の寝台の上で静かに眠りたいという事だけでした。

 

モジャイスクに通じる道を3露里ほど歩くと、ピエールは道の端にへたり込み、しばらく寝転がって傍の暗がりを歩いて行く影の列を眺めていました。

そこへ3人の兵士達がやって来て焚火を炊き、鍋を乗せてごった煮を作り始めました。

彼らは、ピエールの存在に気付き、(自分達も飢えているにも関わらず、見知らぬちゃんとした風な男がいるので)声を掛け、ごった煮をピエールにご馳走します。

大金持ちの美食家のピエールは、このごった煮を今まで食べた中で一番美味しい❗️と喜んで頂きます。

 

この辺りの描写は、一面は、平常時のロシア人の優しさを描いていると思います。

それに、ロシア人で無くても人間は、こういう窮状に身を置くと、同じ所にいる人間とは一体感を感じるというか、同情心とか何とかしよう。。と思う様な生き物であるという事を示している風に思います。

人間は、普通に身分や個人的な環境を背負って生きている場合、どうしても『下を見る=気の毒な人を見る』のでは無く『上ばかりを見上げて』羨ましがったり、妬んだりする生き物だと思うのですよ。

それ故に、人間関係にストレスが付き物だったりします。

 

でも、何か生命に関わる様な困った事態に、他人とか自分を含めた他人が陥った場合、人間の心は裸になって、とっても優しさを見せる不思議な存在だと思います。

裸の人間の心が、こんなにも暖かくて綺麗なものなのだ。。とトルストイ先生は見ておられる気もします。

 

ピエールはこの兵士達の案内❓で、無事何とかモジャイスクの宿にたどり着きます。

ピエールは、彼らにお礼をしなくては。。とポケットに手を入れますが、『いや。。やらん方が良い。。』と、もう1つの声が彼に言い、そのまま彼らと別れます。

ここは、『恩義を受ける優しさ』を表現した様にも思えますが、もっと深く読めば、ピエールはこの人達と自分との間に境目を作りたくなかったのではないか❓と思います。

この兵士達にお金を与える事は、自ら『自分は貴方方とは立場が違う』と示す様なものですからね。。(結局、『社交界の人間』に成り下がるって思ったのかな。。)

 

(追記)

ここで、豊かで贅沢な食事を普通に食べていたピエール=即ち、『飢餓』を知らないピエールが初めて『飢餓』を経験してその時に兵士達に貰った貧しい食事が人生で一番美味しい食事だった。。というこの話は、『後のピエールのモノローグ』に続く重要な場面かもしれません。

彼は、後に『恵まれすぎている』事の不幸❓を述べています。

 

私も『飢餓』や『渇望』を知らないで生き、そのままあの世に行く人生ほど無意味ものは無いと思っているクチですね。