第1巻・第3部(15−3)アレクサンドル皇帝、クトゥーゾフに進撃を命令する。 | 気ままな日常を綴っています。

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(物語)

アレクサンドル皇帝は肩をすくめると、クトゥーゾフには困ったものだと言いたげに、傍のノヴォシリツェフをかえりみました。

「私達はペテルブルグの練兵場に居るのでは有りませんよ、ミハイル・イラリオーノヴィチ、そりゃ閲兵式なら、全連隊が集まらない間は始めないだろうがね。」と、皇帝は、自分の言葉を聞いてもらいたいという風にフランツ皇帝を見やりました。

「それだから始めないのです、陛下。」と、クトゥーゾフは聞き取られぬかも知れぬ事を恐れるように、よく透る声で言いました。

「陛下、我々はペテルブルグの練兵場で閲兵式に臨んでいるのでは無いからこそ、始めないのです。」と、彼は明確に言ってのけました。

 

皇帝の随員達は一瞬顔を見合わせましたが、そのどの顔にも不満と非難の表情が現れました。『彼がどれほど功労ある老将であろうと、絶対にこのような事を言うべきでは無い』と、それらの顔々は語っていました。

皇帝は、クトゥーゾフがさらに何か言いはしないかと待ちながらじっと注意深くクトゥーゾフの目を見つめていました。

しかしクトゥーゾフの方も、恭しく頭を垂れて皇帝の言葉を待っているようでした。

沈黙が1分ほど続きました。

「しかし、ご命令とあれば、陛下。」クトゥーゾフは、ひたすら盲従の老将の口調に戻りながら言いました。

 

彼(=クトゥーゾフ)は馬を戻すと、縦隊司令官ミロラドヴィチを呼んで、進撃の命令を伝えました。

部隊はまた動き出しました、そしてノヴゴロド連隊の2個大隊とアプシェロン連隊の1個大隊が皇帝に馬前を通って行きました。

このアプシェロン大隊が通過する時、顔を真っ赤に上気させたミロラドヴィチが兵士達の行進に合わせてカツカツと馬を進め、皇帝の前まで来ると、活発にさっと敬礼して馬を止めました。

「武運を祈るぞ、将軍。」と、皇帝は彼に言葉を掛けました。

「陛下、我々は全力を尽くして戦います❗️」と、彼は元気よく答えました、しかしそのまずいフランス語の発音で皇帝の随員達の失笑を誘いました。

アプシェロン大隊の兵士達は、皇帝の臨御に大いに士気を鼓舞されて、活発に靴底で地面を踏み鳴らしながら、皇帝と随員達の前を通過して行きました。

 

「諸君❗️」と、ミロラドヴィチは自信に満ちた溌剌とした声で高らかに叫びました。

どうやら彼は、銃声と、間近に迫った決戦と、皇帝の前を元気に行進して行くスヴォーロフ将軍の時代からの僚友のアプシェロン連隊の強者どもの姿とに、すっかり興奮してしまって、皇帝の馬前である事をすっかり忘れてしまったようでした。

「諸君、村を落とすくらい朝飯前だぞ❗️」と、彼は叫びました。

「頑張ります❗️」と、兵士達は一斉に叫びました。

 

この不意の喚声に皇帝の馬が驚いて後ずさりしました。

この馬は、すでにロシアにおける閲兵式で幾度か皇帝を乗せ、ここアウステルリッツの野でも、皇帝の癖の左足のうっかりした拍車に耐え、ちょうどマルス原頭(※ペテルブルグ練兵場のファリーツィン広場の別名)の時のように銃声に耳をそば立て、これらの銃声の意味も、フランツ皇帝の黒色の乗馬が居る理由も、その日馬上の主人が語ったり、考えたり、感じたりした事も、何一つ理解できないままに皇帝を運んでいたのでした。

皇帝は、微笑しながら側近の一人をかえりみて、アプシェロンの勇士達を指差しながら何やら言葉を掛けました。

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(解説)

クトゥーゾフは、実戦だからこそ、自場が固まらないのに敵を攻めてはいけないと言う事を、長年の実戦経験から解っているのですね。

だから、相手が皇帝であっても、「一応は」自分の意見を述べるのです。

しかし、皇帝を相手に「皇帝の意見に反する事」を言うのは、いくら功績がある老将とはいえ、許されるものでは有りません。

そこに、当時のロシアの社会構造の壁があるのですね。

だから、クトゥーゾフも、「結局は」皇帝の命令通り進撃をさせます。

 

皇帝の出現に士気を高められたロシア軍は、一斉に元気に行進を始めます。

しかし、皇帝の頭の中の考えなど誰も解っておらず、ただ「権威に従って」行動しているだけなのですね。

これは皇帝の馬となんら変わりない、と言う事を言いたいのでは無いか、と思います。

 

戦争という、命がけの場面でさえ、人間の人権・命さえも自分の意思で守る事が出来なかったという時代を描きながら、トルストイは「暗に」新しい社会への移行(国民が中心となって築く社会)が必要なのでは無いか。。と読者に語りかけている感じがする部分です。