今日も、19世紀後半に作られたマイセンの「ネーム・ド・ビュー」の「モーリッツブルグ城(Moritzburg)」です。
このプレートは型押しでレリーフの文様が浮き彫りにされ、さらに職人の手作業でナイフで「透かし」を入れられた物です。
大変緻密で正確な作業です。
まず、全体図です。
風景画の部分は、比較的小さいです。
周囲の透かしや、レリーフに形どられた窓枠の中のマイセンフラワーや昆虫達の絵付けも装飾性がとても高いです。
非常に美しい飾り皿です。
モーリッツブルグ城(Moritzburg)は、当時、狩猟用に使われた城でした。
ヨーロッパの貴族達の間では、狩猟によって新鮮な肉を味わうのが最高の贅沢であり、もてなしでした。
その為使われた城です。
実際のモーリッツブルグ城(Moritzburg)です。
風景画の絵付けが非常に正確になされているのが判ります。
※モーリッツブルグ城(Moritzburg)
最初の城はザクセン大公モーリッツが狩猟用に1542年から1546年にかけて建造させた。
城の北側一帯は "Friedewald"と呼ばれる森で、それより前の1500年頃から沼地を整備して40ほどの池が作られ、ヴェティン家の狩猟用地となっていた。城は池に挟まれた土地の4隅に円柱型の塔を建て、それを防護壁でつなぎ、中央に母屋を建てたものであった。
その後、たびたび増改築が行なわれ、1572年には礼拝堂が設けられた。
しかし、この城を当初のルネッサンス様式から現在あるバロック様式に大幅な手を加えたのはやはりアウグスト強大候であった。アウグスト強大候は1703年増改築を計画するに際して自ら城の設計図を描くほどの熱心さであったが、最終的にはやはり宮廷建築士で、ツビンガー宮を設計したペッペルマンやルンゲローネなど当時の名工たちが1722年から27年にかけて総がかりで造り上げた。4隅に塔のある防護壁に母屋が囲まれた形であったものを塔と壁そして母屋を一体化した大きな建物にし、できるだけ左右対称の形になるよう、礼拝堂(向かって左側)の反対側には大きなダイニングルームも付け加えられた。
城は湖の中に建てられているように見えるが、この湖は城の周囲を掘り下げて造られた人工の池で、1730年に造られたものである。
飾り皿の周囲に装飾的に描かれたマイセンフラワーと昆虫達です。
小さな絵付けですが、このように少し拡大しても生き生きとした表情が感じられます。
金彩の集中力です。
素晴らしい人間の能力です。
透かしは、ナイフで手作業で正確にカットされています。
その周囲には金彩で飾られています。
この透かし自体、求心性のある文様で、真ん中の風景画に見る者の視線と神経が集中されるように導いているかのようです。
花の絵付け部分はレリーフ文様が浮き彫りにされています。
これは型抜きで作業したものと推定されます。
透かしを裏側から見てみましょう。
正確なパターンで作業されています。
飾り皿の裏にはボタン剣の双剣マークです。
さらに地名:Moritzburg と記載されています。