終戦を迎えた1764年以降、ケンドラーは金銭問題など様々な確執によって製作所と対立し、孤立して行きました。
自分との共同制作以外で優れた作品を発表する若手を見れば執拗に非難し、病気になるまで追い詰めたという事でした。
それでもケンドラーは、戦前ほどでは無いにしても戦後も数多くの優品を世に送り、1775年に68歳で没する直前まで制作したのでした。
(ちなみに、ヘロルトは69歳で引退、1775年78歳で死去しています。)
ケンドラーの没後は、1764年以来、ケンドラーのモデルマイスターとほぼ同じ地位にあったフランス人彫刻家のアシエが後継者となりました。
彼は、新古典主義的なルイ16世様式の作風のモデラーで、部下のシェーンハイトやユッチャーを指導して時代の好みに合致する洗練された原型を制作しましたが、ケンドラーに匹敵する程の芸術家ではありませんでした。
歴史的な視点で整理するならば、マイセン芸術性が最も輝いたのは、ケンドラーとヘロルトが活躍し、アウグスト強王、アウグスト3世が国を支配し、ブリュール伯爵が製作所の経営を担った時代であったと言えます。
そしてこの輝かしい黄金時代は、1756年の7年戦争の勃発とともに、その終止符を打ったと言い切っても良いでしょう。
7年戦争終結後の1763年、奇しくもアウグスト3世とブリュール伯爵が年内に相次いで他界しています。
7年戦争以降、陶磁愛好家の関心は、マイセンから去り、1745年にヴァンセンヌに設立され、その後セーヴルに移転したフランスの王立磁器製作所にとって代わられるのです。
セーヴルが、芸術的にも技術的にもヨーロッパ磁器の王者の栄光に輝いたのでした。
終戦後のマイセンは、セーヴルへの技術者や芸術家を派遣し、セーヴル磁器のデザインを積極的に活用しました。
「ラビス・ブルー」や「ブルー・セレスト」のようなセーヴル風の釉薬や装飾絵付けを伴ったマイセンが数多く製作されたのはこうした背景の為です。
マイセンの歴史はその後、19世紀にも間断無く繰り広げられ、アール・ヌーヴォー、アール・デコの時代を経て現代まで斬新なデザインの創造を継続しています。
しかし、300年もの歴史を持つ長老磁器製作所であるマイセンが、もっとも隆盛を極め、もっとも質の高い芸術性の高いデザインを生み出したのは、他でも無い18世紀のヘロルトとケンドラーの時代だったのです。
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(追記)マイセン、マルコリーニ期の作品
個人的には、上から下に下るにつれて、絵付け技術及び造形秘術が改善されてきているかな。。と思っております。
一番上の絵付けにまあまあ水準的に類似する作品、最後の複雑な金彩の窓枠と極めて酷似する作品を持っていますので、次回とその次の回において作品をご紹介するつもりです。
(1777年:マルコリーニ期 色絵果鳥文カップ&ソーサー マイセン磁器工場附属博物館蔵。)
マイセン窯が徐々に困難な状況を迎えつつあった時期(1774ー1813)に工場の監督を務め、いくつかの改革にも関わらず報われなかったカミロ・マルコリーニ伯爵(1736ー1814)の時代に、最後の大規模なセルヴィスとしてアウグスト3世の為に作られた「宮廷用セルヴィス」の中のカップ&ソーサーです。
ちょっとフランスのセーブルの「ブルーセレスト」の影響かな。。と思われるブルーが使用されています。
ハンドルの成形がやや歪んでいるのも気になります。
絵付けの深みも薄く、全体的にノッペリとした筆使いで描かれているのはこの時代の初期の頃の特徴です。
裏底には、マルコリーニ時代の製品の特徴である星形が双剣マークの下に書き添えられています。
(1774ー1814年 淡青色黒彩婦人像カップ&ソーサー フッチェンス美術館蔵。)
ヴァンセンヌ(セーブルの前身の窯)・カップと呼ばれる形のカップに、マイセンでは珍しい淡青色(これはセーヴルのアガサブルーの影響と思われます)を地に用い、楕円形のメダイヨンを抜いて、婦人の横顔のシルエットを黒一色で描いています。ソーサーの見込みにはその婦人のものと思われるMAのイニシアルと花冠を描いています。マルコリーニの監督時代、マイセン窯ではエナメル彩を用いて楕円形の窓の中に王侯貴族の肖像を写実的・絵画的に描いた円筒形のカップが数多く作られました。また、同じ趣向で、このようにシルエットだけを表したものもかなりあります。後者はドレスデンのハウスマーラー、サムエル・モーンの手によるものが多いと言われています。
(1774ー1814年 色絵金彩イニシャル文カップ&ソーサー ツヴィンガー宮殿磁器美術館蔵。)
支脚のついた卵形のカップにドーム形の蓋が乗り、取手は月桂冠を象っています。
スッキリした金一色の条線の中に楕円形の窓を取り、美しい花で冠を被ったFのイニシャルを描いています。マルコリーニ時代の作品で、底裏には双剣のマークに地位様星形が添えられています。
(1800年頃 ウエッジウッド風貼り付け装飾のカップ&ソーサー コペンハーゲン工芸美術館蔵。)
淡紫色の無釉の素地に、同じく無釉の白色土で美しい女神たちの浅浮き彫りのフリーズを貼り付けたカップです。いわゆるマイセン窯によるウエッジウッドのジャスパウエアーの模作で、この主題もウエッジウッドで腕を振るったジョン・フラクスマンの意匠である「踊る時の女神たち」の忠実な写しです。しかし、その器形はウエッジウッドのものとは趣が異なり、独特なシルエットとハンドルはむしろセーヴル窯などの絵以上を思わせます。
(1775ー1800年頃 濃青地色絵神話図カップ&ソーサー ツヴィンガー宮殿磁器美術館蔵。)
群青の地、リボンと小さな花の金の縁文様で囲まれた窓、さらにその中にエナメル彩色で描かれた神話図という意匠は、セーヴル窯に倣ったもので、濃青色は「王者の青」を写しています。カップの胴裾部をわずかに窪めているのは、月桂冠の形の取手と共に、マルコリーニ期に多く見られる特徴です。ソーサーに描かれた立ち姿の神はヘルメスです。
1740年頃に設立されたヴァンサンヌ窯に始まるセーヴル窯は、1753年ルイ15世のもとでフランス王立磁器工場となり、金彩の独占的使用などの様々な特権と援助を与えられて急速に発展し、その豪奢な趣味が好まれてたちまちマイセンの強力なライバルとなりました。特に7年戦争(1756ー63)以後は威勢の衰えたマイセンに代わり、60年代からフランス革命までの間、ヨーロッパ陶磁器ファッションをリードして行ったと言っても過言ではありません。
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今日はここまでです。
いつも読んで頂き有難うございます💞
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(再追記)令和6年6月9日
セーブルのブルーで、ブルーセレスト、アガサブルー、王者の青が上記に出てきました。
ラピスラズリ、って言うのもあるので画像のっけておきますね。
これは「セーブル」の項目で詳細に説明するとお思います。
(1880年のSèvres。カミナリ雲のようなヒビ❓が走った王者の青みたいな色がラピスラズリですね。)