マイセン(27) ケンドラー、日本宮に飾る動物像を作成する。 | 気ままな日常を綴っています。

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しかし、彼にマイセンが抱えていた造形の問題を解決する程の能力があるだろうか❓アウグストはその答えを知りたかったのでした。

そこで王命を発し、ケンドラーをマイセンで臨時に(キルヒナーと共に)働かせる事にしました。

1731年6月、彼は「緑の丸天井」の仕事が終わるとすぐにアルブレヒト城にやって来ました。

 

ケンドラーの初仕事は、アウグストが注文した「実物大の」大型彫刻の製作でした。

二人の彫像師の間に、諍いや余計な嫉妬心が生まれる事を避ける為、ケンドラーは工場内の全く隔離された場所で仕事を始めました。

二人は同じ様な課題に取り組みましたが、なるべく接触しない様にさせられたのです。

キルヒナーやリュッケ同様、ケンドラーもこれまで磁器を扱った事は有りませんでしたが、前の二人が数々の問題点にぶつかったのに対して、ケンドラーはこの新たな分野にいともたやすく馴染んだのでした。

 

彼の素直な魅力は、すぐにシュテルツェルを味方に付け、素材に関する基本的な技術上の制約について忠告を受けたものと思われます。

そして数週間のうちにケンドラーは、最初の成功を収めます。

それは身の丈2メートル程もある翼を広げた鷲で、王の磁器動物園に加える像でした。

ある紋章の意匠に基づいていたものですが、躍動感あふれ写実的で劇的でした。

アウグストは一目見て魅了されました。

王の夢を理解し、実現する技を持った人間が、やっとここに現れたのです。

 

王命により、ケンドラーは造形の親方として雇われ、年棒400ターレルの初任給を約束されました。

キルヒナーとケンドラーは同じ肩書きを持つ事になりましたが、キルヒナーの方が表向きは地位が上でした。

しかし、「日本急に納品された彫刻に関する1735年の目録」には、469個の動物や鳥の彫刻が納入された事が記されていますが、現在残されている動物像を見ても、ケンドラーによる動物像の優位性は明白でした。

また、このことを当時の製作所の委員会もよく理解していたのです。

 

代表作の一つである1734年完成の孔雀像は、まるで身体から生え出したかのように大きく丸く翼を拡げています。

高さ105センチメートルの巨大な羽を本体の体躯が支え、なおかつ薄造りの大きな羽を崩壊させない結束力を保っています。

この極限までの張り詰めた緊張感は、見る者を釘付けして止まなかったのです。

 

 

(1734年 ケンドラー作 孔雀像)

(側面から像を見たところ)

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今日はここまでです。

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