マイセン(21) 東洋磁器の模倣とマイセン工場の危機 ④ | 気ままな日常を綴っています。

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しかし、この事件には、もう一人の犯人が居たのです。

それはヘロルトです。

東洋磁器の写しものは、柿右衛門様式の絵付けの作品が主体で、その絵付けには多くの絵付け師が携わっていましたが、ヘロルトの指揮下でこの模造が行われている事は明白でした。

ルメーアらの取り調べ記録には「獅子文」「山鶉の意匠」「歯をむく獅子」と言った意匠名が散見されますが、これらは皆代表的な柿右衛門様式のモチーフです。

 

アウグストの旧所蔵品の柿右衛門様式の写しものには、確かに右に挙げた意匠の作品が全て揃っています。

現在ドレスデン国立美術館の所蔵となっている事件の没収品は、どれも大変見事な絵付けであり、全てのモチーフの形、色がほぼ完璧に模写された驚くほど精巧なものなのです。

なお、この時習得された柿右衛門様式の絵付けは、人気の高い意匠で有った為、後にモチーフが自由に組み替えられ、異なる器形の上に足掻かれるマイセンの代表的な意匠となったのでした。

 

この大事件の調査には、ルメーアの策謀と不正を暴くと共に、ヘロルトに途方もない金額が支払われていたことが明らかになったのです。

確かに、ヘロルトは受け取った金の中から職人の賃金や経費を支払っていましたが、それは収入と比べて微々たるものでした。

 

彼の絵付け工房は閉鎖され、ヘロルトとその部下達は監視の目の届く製作所内で働く事を余儀なくされました。

そこでヘロルトは、昇進の条件として工場から給料を貰う雇い人になる事を求められました。

給料は、最初は年間600ターレル、後には1000ターレルに上がり、これはかなりの額でしたが、今までの儲けに比べればずっと少なかったのです。

 

事件との関わりを知りながらもアウグストは、1731年4月にヘロルトを宮廷委員に任命しました。

また、彼は磁器の秘法の保持者の一員にもなり、製作所の芸術部門の総統括者として、絵付け部門と白磁部門の両方を支配に収めるようになりました。

この頃までに獲得されたマイセン磁器の芸術性への高い評価には、ひとえにヘロルトとその弟子達の絵師らによる絵付け技術に対するものでした。

しかし、1731年以降のヘロルトは、自ら絵筆をふるう事は無くなり、もっぱら経営者として製作所の運営に関わったのでした。

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今日はここまでです。

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