マイセン(20) 東洋磁器の模倣とマイセン工場の危機 ③ | 気ままな日常を綴っています。

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東洋磁器をそっくり模した作品に双剣マークをいれないで売ることが賢明かどうか、直ぐに疑問の声が上がりました。

たとえルメーアが「マイセンで焼いた複製」と正直に言って売ったところで、転売業者が不正を働く可能性が大いに有ったからです。

この事は、裏を返せば、「マイセンの真正の職人」の技術が今や柿右衛門窯の職人に引けを取らないという事実を如実に物語っていました。

アウグストは、後に「双剣マークの無い」マイセンが作られた事実を知って、かなり憤激したと言われています。

しかし、アウグストの怒りは道徳的見地からでは無く、磁器にマイセン窯の双剣マークが無ければ、その出来栄えがいかに素晴らしくとも、自分が賞賛を受けられないから。。という理由からでした。

 

一方、フォン・ホイムとルメーアは、日本磁器の偽造を売ってボロ儲けをするだけでは飽き足りず、磁器を作る秘法そのものを盗み出し、フランスに売ろう、と画策します。

ルイ15世は、贅沢好きの他のヨーロッパ君主と同様、磁器愛好という危険な趣味を持っていたのです。

ルイ15世は、アウグストが本物の磁器を作る工場を創設したと聞いて以来、自分も同じ事業(ザクセンのそれを凌駕するもの)を発起したいと切に願っていたのです。

 

国王は、1730年代の終わり頃、ヴァンセンヌの工場に投資をしていましたが、これ軟質磁器の工場で1738年に創立され、1756年には王立磁器工房となり、マイセン同様、今日まで(フランス国立磁器製作所セーブルとして)続いています。

しかし、その当時のフランスは、未だに軟質磁器を作る技術しか持っていませんでした。

狡猾なルメーアには、ルイ15世が磁器の製法を手に入れる事が可能となれば、夢中になり、いかなる代価も惜しまないであろう事を熟知していたのでした。

 

二人は、専門技術を持った者から(特にシュテルツエルから)磁器製法の秘密を得ようとしましたが、彼らの能力ではおよそ理解ができず、それで二人はだんだん大胆になり、実験に使う磁土を盗もうとして事件が発覚する事になりました。

1731年春、アウグストは本件に関与したホイムを投獄しました。

ホイムは数年後、憂鬱と絶望のあまりに自殺してしまいました。

しかし、真の犯人のルメーアは、巧みな弁舌で国外追放以外には処されず、ずる賢く生き延びたのでした。

 

結局、アウグストは、まだ彼らの手元にあった模造品を没収し、日本宮の装飾に用いたのでした。

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今日はここまでです。

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