マイセン(18) 東洋磁器の模倣とマイセン工場の危機 ① | 気ままな日常を綴っています。

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さて、東洋磁器をそのままそっくり模倣する写し物の政策については、誇り高き芸術磁器製作所を目指したマイセンでは「2つの例外を除いては」行われませんでした。

 

その一つは、アウグスト強王が日本宮を飾る為に注文した作品です。

アウグストは、1729年にこの注文の為に、収集品から220種類の東洋磁器を製作所に運ばせました。

1730年には、アウグストは日本宮の装飾の為に1350個の磁器を注文しましたが、その多くは東洋磁器をそのまま模倣した写しものでした。

この注文品には、有名な柿右衛門様式の絵付けを施した作品も含まれていました。

再び1732年にも、アウグストは日本宮の装飾の為に30個の装飾用花瓶6組と、266個の花瓶を動物彫刻などと共に注文しました。

 

一方、もう一つの写しものの事例は、れっきとした偽造行為です。

この偽造は、間も無く詐欺事件として厳禁されましたが、事件の犯人は、1729年よりマイセンと販売契約を結びドレスデンに居たパリの商人ルドルフ・ルメーアと、当時のザクセンの第一大臣で製作所のフォン・ホイム伯爵でした。

すでにマイセンに運ばれていたアウグストの所有品の東洋磁器から、1731年までに120を超す作品が、アウグストの承諾無しにルメーアの注文によって模造されていたのです。

 

こうした偽造の作品は、当然マイセンの「双剣マーク」は焼成されていません。

マイセンが作った「マイセンとしての作品」ではなく、マイセンが作った柿右衛門様式の「柿右衛門が作成した作品」として売却されることが予定されていたからです。

要するに「作成名義人」を偽ったマイセンの黒歴史である偽造行為だった訳です。

当時の柿右衛門様式の日本の真性品は高価で、駆け出しの工芸品であるマイセンとは比較にならないものでした。

こうして、ルメーアとホイム伯爵は、マイセン随一の絵付け師ヘロルトをも巻き込んで「お金の為に」必死になって柿右衛門様式のマイセン作の陶磁器を作り続けたのでした。

 

次回以降、この事件について詳細に述べる事に致します。

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今日はここまでです。

いつも読んで頂きまして誠に有難うございます♪」

 

(マイセン1728年頃 色絵双龍鳳凰宝文皿)

有田の磁器と全く同じ意匠を模造した作品です。

ドレスデン国立美術館蔵