マイセン(11) シュテルツェル、天才絵付け師ヘロルトを伴ってマイセンに帰る。 | 気ままな日常を綴っています。

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ところが、大規模生産が可能と思われた時に、ウイーン工場はまたもや財政難で存続が脅かされたのです。

一方、シュテルツェルは、デュ・パキエが約束通り金を支払わないので、我慢の限界に達していたのです。

 

シュテルツェルは、マイセンへ戻る為の障害を取り除こうと必死で、アウグストとの仲介人のアナカーに「磁器造りの秘法は、実は少しも漏らしていない。素地土造りは常に秘密裡に行った。したがって、もし自分が恩赦を得てドレスデンに戻ったならば、自分を失ったウイーン工場が潰れる事は疑いない」と。

この概ね虚偽に近い告白を受けたアナカーは、アウグストに手紙を書き、シュテルツェルをマイセンに取り戻す事を勧めたのです。

アウグストは喜んで承諾し、ザクセンに戻ればシュテルツェルの命を助けると保証しました。

 

そして1720年の春、シュテルツェルは、アナカーから旅費50ターレルを受け取り、マイセンに向かったのです。

今はマイセンの利益のみを心がけている事の証に、ウイーン1の才能ある職人を旅の伴として連れて行く事にしたのです。

マイセン工場は、シュテルツェルもよく知っていたように、美術的な面で立ち遅れていた為、まだ前進を妨げられていたのです。

彼が連れて帰った相手こそ、有能な若き絵付け師ヨハン・グレゴリウス・ヘロルトだったのです。

 

ウイーンから逃げ出す晩、シュテルツェルは自分が真に後悔している事をマイセン側に信じてもらう為、ウイーンが将来マイセンと競合できなくする為、粘土、型、窯を壊し、フンガーが発明した貴重な色絵の具とウイーン磁器の見本を持てる限り持ち出したのです。

 

翌日、デュ・パキエが全てを目の当たりにし、在庫と設備のみならず二人もの重要なスタッフを失った事に気付いた時、デュ・パキエがどれほどうろたえたかは想像に余りあります。

被害額は15,000ターレルにも登り、破産は避けられそうにもありませんでした。

そして、シュテルツエルが望んだ通り、ウイーン工場の生産はぴったりと止まったのです。

 

今日はここまでです。

いつも読んでいただきまして有難うございます💞

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(追記)

この、ヘロルトを伴ったシュテルツェルのマイセン帰還こそ、マイセンの繁栄をもたらす結果となったのです。