マイセン(7) マイセンの磁器製作の秘法とヨーロッパの政治的競争者達。  | 気ままな日常を綴っています。

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一方、アウグストは失望や困難にもめげず、相変わらず工場の優れた作品を庇護し続け、それらを贈答品として利用し、自分の国、ひいては自分が技術と芸術の分野に秀でている事を見せつけました。

しかし、アウグストが磁器の成功を大々的に宣伝すればする程、ヨーロッパの政治的競争相手達は、彼の鼻をへし折り、財政に大きな見返りが期待できる事業に自分も乗り出したい、と考えるようになって行ったのです。

 

だが、それにはまず、秘法を手に入れなければなりません。

本物のヨーロッパ磁器をマイセンだけが造れるという独占状態はおびただしい数のスパイ達によって次第に脅かされて行くのです。

当時ベトガーは病気だったので、工場の将来の為にはベトガーが他人に磁器の製法を伝える必要が有るのは言うもでも無かったのですが、製法を教わった者がスパイに狙われる事は避けられなかったのです。

 

秘法には、素地上の組成だけではなく、焼成の方法、釉薬の作り方、絵具の作り方も含まれます。

秘密を守る最も安全な策は、信用のおける数人の雇い人に分散して伝える事でした。

めいめいに製法の一部だけを教えれば、ベトガー以外誰も全工程を完全に理解する事は出来ないし、真似る事も出来ないからです。

 

しかし、マイセンの工場では、労働条件の悪さや給料の支払いの不規則といった慢性的な問題を抱えていたのでした。

そしてマイセンの労働者の不満は、マイセンの人間を引き抜こうとするスパイの存在と共に、秘法の安全を脅かし続けたのでした。

 

そして(マイセンに、と言うよりもスパイ側に)深刻な損害をもたらしたのは、1717年マイセンの腕利きのエナメル絵付け師で金彩も担当していたクリストフ・コンラード・フンガーがオーストリアの近衛官クラウディウス・デュ・パキエに買収されて寝返った事でした。

 

しかし、他の多くの離反者と同じく、磁器の製法を知っていると言うフンガーの言葉が偽りだった事は、何度焼成を試みても失敗に終わるので明らかになります。

そして、デュ・パキエはフンガーへの投資が軽率だった事を認めざるを得なくなります。

 

デュ・パキエは、再び、マイセンで働く腕の良い職人に目をつけなければなりませんでした。

鍵を握っている人物は、むろん磁器の生みの親ベトガーだったのですが、この頃すでにベトガーは重病を患っていましたし、長年王に忠誠心を尽くした男をウイーンに連れて来る事は、どう考えても無理でした。

 

今日は以上です。

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