源氏物語「須磨」② 源氏、都に留まる者達になすべき事を伝える。 | 気ままな日常を綴っています。

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で、源氏は二条の院に最も大切な妻である紫の上を置いて行く訳だけれど、これには「情だけでは測れない事情」というものが有った訳よ。

 

源氏は出発前に、二条の院で全ての身辺整理をしたわ。

源氏は、更衣の産んだ御子とはいえ帝の皇子であり、能力も優れて居て出世して居た訳だから多くの家来、妻たち、お世話をして居る女性達、さらに資産があるわ。。

この家来や妻たちの生活や資産・金銭の管理や処理をするのは並大抵の事では無いのよ。

特に土地やお金のことになると「所有権」もさることながら「占有」という事実が重篤な法律関係を産むことになるから「本当に信頼できる人」にしか管理を任せることが出来ないわ。

言うまでもなく、この主たる役目を担わされたのが「紫の上」だった訳ね。。

 

源氏は、「自分の伴侶になる女性」には、美貌・気立て、そしてこうした「世間を見極める能力」を厳しく要求して居たと思われるわ。

その源氏のお眼鏡に適った女性こそ「紫の上」だったのよ。

 

源氏は、紫の上と夫婦になった頃に、右大臣側からの「(源氏が関係したのだから責任を取って。。と言う意味で)朧月夜を正妻に。。」との申し出を断って居るけれども、派手好みの右大臣家というものを「熟知」して居たから「この人に自分の家事一切を任せて大丈夫なのか。。」という(無意識の)疑念があったと思うのよ。

 

源氏は愛を渡り歩いて居るように見えて居て、個々の女性の長所を発見して「それを愛する」能力に長けては居ても、どこか深い所で「現実に目を向けて居た」と思うわ。

源氏は、紫の上が小さい頃から、紫の上自身の立場がどういうものなのか、自分が女性たちを囲う事自体がどういう面を持って居るのか、家来たちの腹心度の見分け方、さらには資産管理についてもしっかり教育して来たものと推定されるわね。

源氏が紫の上に教えて居たのは文面に出てくるような習字や琴だけでは無かったのよ。

 

(須磨海岸)

で、源氏は、都に残して来た忠実な家臣たちだけに二条の邸の事務一切を処理させ、事細かに役目を決めるわ。

 

源氏に仕えて居る女房達の事は、西の対の紫の上に管理を任せるわ。

そして、東の対でお仕えしていて源氏の帰京を信じて待つ意思の有る女房達に関しては、西の対に来て紫の上に仕えるように申付けるわ。

 

さらに、源氏の領地の荘園・牧場を始め、その他の所有権のある領地の地券などを紫の上に譲りわたすのよ。

その他、倉の立ち並んだ御倉所や金銀、絹綾を貯えている納殿のことまで、前からしっかり者だと信用して居る少納言の乳母に任せ、腹心の家司達を相談相手に付けて財産の管理上の事務一切を取らせるよう計るのよ。

 

そして、左大臣家に仕えて居た若宮の乳母達、花散里の君にも日用に使う品物の算段までさせて行くわ。

 

まあ、一通り記載してみて、中流出身❓だった紫式部がこのような詳細な資産関係を記載して居るのには興味深いものがあるわね。。

彼女は、時の権力者・藤原道長の勧めで源氏物語を書き上げたという話は有名だわ。。

きっと、この部分の記載は藤原道長という人物をモデルにしたものと思われるのよ。

とすれば、道長という人物も、決して自分の権力に溺れて居た人間ではなく、冷静に「世間と自分」というものを見つめて居た人物であることが推察されるわね。。

これは面白い事だと思うのよ。

 

※(追記)この記事、一昨日に入力したのですが、「須磨」の後半を読んでいると、紫式部はやっぱり源氏に「紫の上をこんなむさ苦しいところに連れては来れない。。かわいそうだから。。」としきりに言わせているのですよね。。

でも、一方では、京に残してきた資産管理を任せているので、「そういう(かわいそうだから)問題」だけではないと思うのです。

たぶんね。。私の想像ですが、この資産管理を任せる部分は「その方面にかなり常識を持っていたと思われる」=藤原道長の差し金で書かされたのではないか。。と思っております。

紫式部は女性で、道長がパトロンになってこの物語を書いているので、丸腰❓でこんなのを書くという苦労がイマイチわかってなかった、即ち、お金には無頓着だったのではないか。。。と疑っております。

確かに「情愛とか宗教愛」には造詣が深かったとは思いますけれどね。。

 

今日は以上です。

今日もありがとうございました。

次回も「須磨」③です。

今日も良い一日をお過ごしくださいね。