LDショックの前日からしか投資行動をとったことのない私にとって、今日みたいな相場は初体験でした。
トレード画面はまるで繁華街のネオンサインのように絶え間なく明滅し、板の数値は川のように流れ、パチンコで大当たりを出したときのような様相を呈していましたね。
そんな中、私の場合、前場は慎重になりすぎロスカのし過ぎで-4000円。
昨日作ってみた「投資ルール」はかなりきつく、ちょっとしたことでロスカとなり融通がききませんでした。
今日みたいな日なら、ルールを少し緩めて値戻しに期待するべきでした。
後場はプラス14000円でした。イートレ1株から獲りました。本来なら、全力買いが本当の正解だと思いますが、まだ「チョッと練習だぁ」的な気分にあり、行動の幅を自ら縮めてしまいました。
チャートに物差し当ててシュミレイトしてみた。
迷うときには数分でロウソク足の本を見たりする。
油断すると因果関係が逆転しそうになる。
机上の空論ですら、とれる金額が少なすぎで時給換算では割りに合わない。
修行中の身である。
贅沢はいえない。
損しないように、手数料負けしないように、昼飯代が稼げるよに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・キノコの楽園が開けますように。
(5分足)
(A)以下の条件は全て「かつ」で結ぶ。
(反対売買は1つでも否定事象が出現したとき。)
出来高が60分線および120分線より上か、または、2本のうち少なくとも1本が水平~上昇トレンド
MACDがシグナルをGCしていて買い、DCしていて売り。
30分足と60分足が同時に水平~上昇は買いの条件、水平~下降は売りの条件。
寄り付きの買いスタート売りスタートはしない。
5分足が進捗する瞬間に無条件に執行。
引けでは無条件に反対売買を行い、キャッシュポジションをとる。
(B)常にロウソク足を観測し続け、勘に頼りそうなときの行動規範とする。
「勉強中」
(A)はPCにだって判断可能なこと、(B)が人間的ないわば匙加減ってやつだ。
俺は昔、数学ってのを真剣にやってた時期があってさ、
そんな中で、「定理」を見つけたりすんだよね。
定理ってのは、例えて言えば、発明品だな。
日常の役には何の役にも立たんけど、
数学を進める上では役に立つようなのもある。
で、俺がよく見つけたのは「定理」さ。
よく見なよ、括弧がついてるんだぜ。
この俺の「定理」は、一夜にしてギャップ(飛躍)や矛盾(間違い)が指摘されてゴミ箱行きさ。
だけどね、少 なくとも12時間ほどは、俺の心の中では定理なわけよ。
そんときゃ、そりゃあ、生きがい感じたな。
新しいことを発見したりする喜びってのは、そのとき、つまり、世界と自分が触れ合ってるってことなわけで、
気がふれてもおかしくないくらいの快感さ。
昨夜、俺の心のなかに、新しい投資法が現れて、
今日の後場、「投資法」となって消えた。
おいら、株がこえーよぅ。
心の歯車が軋み始めて、頭がクラクラするし、
暖房をきかせてない部屋にいるのに汗をグッショリかいている。
こういう気分は、熊の気配を感じながら北アルプスの誰もいないバリエーションルートを
単独行しているときに近い緊張感だな。
あっ?雨音が聞こえるよ。
そうか、今日は雨なんだね。
今日は、夕方からチャート分析の本を読んでいましたが、まだ三分の一ぐらいしか読み終えていません。
「チャート分析による投資法は、バックミラーだけを見ながら車の運転をするようなものだ」
という意見もあります。
私は「それはそうだ」と思いましたが、チャート分析はチャート分析派同志の共食いを演じる余地が残されているかぎり有効なのではないかと思います。
しかし、私のイメージする理想のデイトレーダーズは、機関投資家を食い物にする無数 のハイエナ、もしくはバクテリアです。
個人対個人の闘いに明け暮れるばかりではお互いに消耗戦ですから、いつかは機関投資家、もっと具体的で嫌味な言い方をすれば、他人に任せっきりで儲けようとする虫のよすぎる人たちの銭をかっさらってやろうではありませんか。解禁後の郵貯、団塊の世代の退職金、この辺りが狙い目ですな。結局、外資が考えていることと同じになってしまうのは癪だけれども。
