"大物"がクォン・サンウに与えた力と役割★ | ペルコの部屋

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↓とても的確で、とても嬉しい記事ですビックリマーク

読んで、涙が出てきました。。。


今まで、様々なことで叩かれて、非好感というレッテルをはっきり6月事故後にはられてしまったサンウさんが、まるで不死鳥のように復活アップ

決してあきらめないで、俳優として全力をつくし、最善の姿を見せてくれましたクラッカー


実は今も。。SBSプラスでの再放送を観ながらの書き込みです!ハングルまるでわからないのに。。なぜか引き込まれるドラマ”大物”何度も観たくなる”大物”何度も会いたくなる”ハドヤ”。。。ラブラブ!

その謎がこのコラムニストさんの文章で、解けました~そういうことだったんですねニコニコ





『大物』がクォン・サンウに与えた力と役割


好感で帰ってきたクォン・サンウ、彼に残った宿題


クォン・サンウが変わった。正確に言えばクォン・サンウのイメージが変わった。
『大物』で彼が演じるハ・ドヤというドンキホーテ検事のおかげだ。
事実クォン・サンウが検事役で出演するといった時、多くの人々は期待よりは憂慮が大きかった。
各種芸能番組とドラマに出演しさえすればことごとに物議をかもしだしたうえに
去る6月にはあて逃げ事故まで起こした。だからドラマが始まる前から、いくらおもしろくても
クォン・サンウのためにドラマを見ないという話が出たのは別の見方をすれば当然のことだった。

これはクォン・サンウ本人もわかっていた。彼は製作発表会見で「むちで打たれようが
褒め言葉を聞こうが、作品でお見せするのが一番です。」と頭を下げた。
自粛しなければならない時期にドラマに出演することが重荷に感じる時だった。
その上、演技をすれば毎度出てくる発音や演技力論議は、ややもすると、この背水の陣の演技者を
崖に押し出す危険まであった。

だが驚くべきでことは、やはりキャラクターが持った力だった。
多くの人々が『大物』というドラマを、女性大統領すなわちソ・ヘリム(コ・ヒョンジョン)が
ワントップで出てくるストーリーだと知っていたが、蓋を開けてみればハ・ドヤという
ドンキホーテ検事が並び立つストーリーだったということだ。
もちろんハ・ドヤはソ・ヘリムの後に立っているが、決してソ・ヘリムに劣らない役割だ。
『大物』は結局二人だった計算だ。

『大物』が描く世界は二分化されている。
チョ・ペホ(パク・グニョン)で代弁される腐った政治家たちと、その中で孤軍奮闘するソ・ヘリムと
ハ・ドヤで代弁されるドンキホーテたちだ。
ソ・ヘリムが政界において、党の中で機械的に賛成する議員たちと同じように利用されることに
堂々と反旗を翻すように、ハ・ドヤは権力者にただ頭を下げる検察に無謀にも対抗する人物だ。
だから『大物』の力はソ・ヘリムが戦う政界の話と、ハ・ドヤが戦う検察の話の両輪で回っていく。

ソ・ヘリムが感性的に涙に訴えながら庶民らの声を代弁するように、ハ・ドヤは、お金が無くて
後ろ盾もない庶民たちに痛快さをプレゼントする。
ハ・ドヤが身上調査でチョ・ペホを何時間もの間座らせておく場面は、たとえ小さいことだとしても
見る人々にカタルシスをプレゼントする。
誰も対峙できないチョ・ペホの顔をひきつらせ仕返しをする場面が与える爽快感はまたどうだ。

庶民たちの心を代弁するハ・ドヤというキャラクターは、いつも非好感を集めていたクォン・サンウ
には一生一代の機会だということが明らかだ。
クォン・サンウのイメージの中に残っていた(感情を)刺激するような姿はハ・ドヤの中に入って
政治権力の前でかえって堂々としていることに転換される。軽いようなイメージは庶民的な検事の
イメージに変わったし、荒れたイメージは正義感と表現された。

幸いなのはこの一生一代の機会にクォン・サンウが渾身の力を出しているということだ。
恐らく多くの大衆に対する負い目のためかもしれないが、ハ・ドヤの中でクォン・サンウの演技は
花開いている。
彼が幼い子供のようにふるまう時、見る人々を笑顔にさせ、落ち込むソ・ヘリムの肩をたたく時
力強く感じられるようにさせて、自身の正義が偽りに踏みにじられて、ボロボロと流す涙に共感させる。
これが演技者の本分ならば彼はその役割をじゅうぶんに果たしているということだ。

『大物』がハ・ドヤというキャラクターを通じてクォン・サンウに与えた力は莫大だ。
そして彼に大衆が与えた役割もまたはっきりしている。
ハ・ドヤというキャラクターの口で庶民のもどかしさををさっとほどく、
そのような演技を見せてくれと言うことだ。
もちろんクォン・サンウの選択が、どんな結果で終わるかということを速断することはできない。
だが明らかなのは努力する姿が演技の中ににじみ出るならば、大衆の心もまた変わる
ということだ。クォン・サンウは今その途上に立っている。

チョン・トクヒョン:大衆文化コラムニスト



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